2011年12月31日土曜日
忘年会
いつ頃からかMCはコスプレをさせられることになってまして、今年は見ての通り誰がなんといおうと大活躍のあの方です。ラスタマンでもプレデダーでもありません。これ、ユニも普通のTシャツをわざわざ青く染めて手製のアップリケをつけたもの。アシスタントのさっちゃんの手作りです。
これまた恒例、サイバラよりも以前からやっている記憶画力対決のトリは、出渕裕=左と横山宏=右という豪華な組み合わせで、お題は「キングジョー」。しかも審査員は氷川竜介さん! しかし、いきなり「キングジョー」といわれて躊躇なくものすごい速さで描き始める人(二人とも)というのを初めて見た気が。現場の軍配はブッちゃんに上がったのだが横山さんのジョーもかっこいいね。皆さんの判定は。
写真:桑島龍一
ゲット スマート実況
Ciao! ムーンライダーズ
ライヴはホールも含めた複数の場所でのメンバー一人一人の同時多発パフォーマンスから始まった。それから至福の2時間余。楽しくてかっこよかった。いつだってシャイでクールでストイックなバンドで、今宵もMCはほとんどなかったけど、心なしかオープニングからラストまで、いつもより客との距離を近くしているように感じられた。
何人か事前にツイッターなどで「会場で会いましょう」と言葉を交わしていた方達がいたのだが、終演後の人混みで確認出来ず会えなかった人も。でもまあこのバンドのファンはバンドと同じメンタリティの人が多いから「遇えれば僥倖、しつこく探し回るには及ばず」と勝手に判断し、めぐりあえた古くからのライダーズファンのまついなつきさん達と鍋を食べに行く。まついとは、同じく筋金入りのムーンライダーズファンであった故ナンシー関さんのお別れ会に二人で行って、堀井憲一郎氏のヨメから夫婦と間違われた、という過去を持つ。
写真は演出で使われ客席に転がってきた風船。帰路、昇ってきた下弦の月をバックに撮りました(これを「下弦」とつぶやいたら「上弦ではないのか」とツイッターでひとしきり論議に。東の空に昇りたてでこの状態の月は下弦なのです)。
達郎さんライヴ
カキューン!! 新動画
新作も含め2011年版のすべての動画6本がオフィシャルサイト(→ここ)で観られます。うち2本ほどが深夜らしくお色気篇。
2011年10月31日月曜日
SF映画ベストテン
またまた熊本帰省
何のことやらといえば、たまに帰省すると何でこれが家にあるのかよくわからないモノを発見してしばし悩む。今回は「南京たますだれ」とのみ書かれたビデオ。実家にはもうVHSデッキがないので中身の確認も出来ず。
9月下旬というのに熊本はまだまだ暑く連日30度超え。この夏、まだ鰻を食べていなかったので出前で頼む。ウナギの次はお彼岸なのでオハギ、と思ったが、どうもタイミングが悪くてなかなか買えず、連日ツイッターに「まだおはげない」とふざけたつぶやきをUPしていたら、古川登志夫さんにまで「今日はおはげましたか」と心配されるようになった。
森都心プラザから見た熊本駅
熊本市内もあちこち様変わりしており、駅前には「くまもと森都心」と名づけられた高層ビルが建設中。一部施設のオープン記念に映画『黄泉がえり』の上映に併せて梶尾真治さんのトークイベントがあるというので、連絡を取って、来月の小松さんを送る会用の動画を撮影しに急遽うかがう。するとなんと申し訳ないことに、梶尾さん、つぶやきをご覧になっていて、ご贔屓のお店のおはぎをおみやげにいただいてしまった。恐縮至極汗顔の至りとはこのこと。
ウナギとオハギだけで帰京するわけにはいかない。熊本とくればやはりラーメン。帰るたびに違う店をあれこれ試しているのだが、以前から気になっていた実家の近所のラーメン店で今回やっと食べることが出来た(実家といっても僕が上京後に引っ越したので周囲のお店は馴染みがないのです)。ご夫婦二人でやってる、いまだダイヤル式黒電話のカウンタ5席だけの店で、正直、味のほうは過剰期待はしていなかったのだが、いやこれが旨かった。何の奇もてらわないシンプルな本道の熊本ラーメン。自分的には幾つかの有名店より評価は上。また行く。
2011年9月1日木曜日
僕らの漫画
参加マンガ家は、第1弾が、手原和憲、三宅乱丈、ねむようこ、ヤマシタトモコ、国樹由香、そらあすか、信濃川日出雄、とり・みき。第2・3弾掲載予定が、麻生みこと、井荻寿一、石田敦子、磯谷友紀、板倉梓、今井哲也、えすとえむ、喜国雅彦、小玉ユキ、さそうあきら、進藤ウニ、belne、村上たかし、ヤマザキマリ、ルノアール兄弟、和田フミエ。
ダウンロードの方法は「僕らの漫画」のここを参照。また右の「僕らの漫画」ロゴマークをクリックすると直接iTunesのプレビューページに飛べます。ipad/iPhone以外の電子出版は検討中、年末をメドに紙媒体での販売も計画中です。
滝口順平さん
TV放送黎明期、というよりラジオ時代からの大ベテラン。第一世代の声優さんは、ラジオの放送劇団(昔は放送局が劇団を持っていたのです)出身の方と新劇出身の方に大別されるが、滝口さんはTBSの放送劇団のご出身。
TV放送におけるアニメではない実写外画の吹替番組第1号は、KRT(現TBS)で1956年4月放映開始の子供向け西部劇『カウボーイ・Gメン』。主役のパット・ギャラガー(ラッセル・ハイデン)の声を生放送で担当したのが滝口氏だった。
といっても最初期の生放送吹替は1人から2,3人で男女関係なく何役もこなす、いってみれば活動写真弁士スタイルに近いもの。『カウボーイ・Gメン』では、滝口氏以外には相方のクロケット(ジャッキー・クーガン)を上田恵司氏が担当したとの資料もあるが、もちろん生放送なので音源は一切残っていない(※)。
文字通りの先駆者だったわけだが、それから亡くなる直前まで、ずっと現役第一線、しかも晩年もゴールデン枠のナレーションで活躍されたわけで、すごいとしかいいようがない。担当したアニメキャラは数知れず。
僕が滝口さんのお声を滝口さんとして最初に認識したのはNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」(1964年放映開始)のライオン君だったと思う。外画では言葉は悪いが「デブ専」で、恰幅がよくコメディセンスのある役にはよく抜擢された。とくにゲルト・フレーベなどは絶品だった。
残念ながら直接お話をうかがう機会はなかったが、ベテラン諸氏へのインタビューで必ず名前が挙がるのが滝口氏だった。本番収録中、真顔で台本やリハ時にはないアドリブのギャグをあのお声で飛ばすので、吹いてしまう被害者続出。当時はリールの途中でNGを出すとまた最初から録音し直すはめになるので大迷惑である。しかし、なにせ大ベテランの悪戯なので出演者一同は文句も言えなかったという(反面、若手のアドリブには厳しかったとも)。お人柄が偲ばれるエピソードである。
ご冥福をお祈りいたします。
※63年に再放送されたときはハイデンを大平透、クーガンを藤岡琢也が担当した。
第4回ギャグ漫画家大喜利バトル
今年は出ないので本当に気が楽だ(過去2回は前夜に既にえずいてた)。それにしてもこのキャパの客席が満員御礼になるようなビッグイベントになったのだなあ、と感慨ひとしお。おおひなたごうの頑張りには頭が下がる。
今回エントリーしたのは、おおひなたごう、カラスヤサトシ、西原理恵子、島本和彦、しりあがり寿、ダ・ヴィンチ・恐山、東村アキコ、村上たかし、そしてディフェンディングチャンピオンの和田ラヂヲ。加えてスペシャルマッチは世界の浦沢直樹と寺田克也、司会が千葉山貴公、審査員が、手塚るみ子、奥村勝彦コミックビーム編集長、吉田豪という豪華メンバー。
今回も皆ハイレベルな戦いで、気が楽だとかいってたら観ているだけで胃が痛くなった。そして優勝は(マンガ家としては)デビュー一週間たらずの謎の覆面つぶやき職人・ダ・ヴィンチ・恐山氏という意外な結果に。でも、これで観ている人には本当にガチンコ勝負だということが伝わったと思う。恐山氏の解答は本当に面白かった。
ウチアゲでは、以上のメンバーに加え、過去の出場者や友人マンガ家・編集者らが一同に会し、大マンガ家宴会の様相に。店が火事にでもなってみんな焼け死んだら、確実に雑誌が2,3誌つぶれそうな業界密度だった。出版社の枠を飛び越えた作家どうしの交流はふだんはなかなか機会がないので、僕も色んな方と話が出来て楽しゅうございました。ちなみにスタート時の我がテーブルは寺田克也、西原理恵子、羽海野チカ、よしながふみ、吉田豪(あとから東村アキコ、八巻さん@小学館も)というメンツ。なのに話題はなぜか某スタッフの男女関係に終始……。
2011年8月31日水曜日
奥様お尻をどうぞ/クレイジーハニー/超コンデンス
まず下北沢本多劇場で『奥様お尻をどうぞ』。全編くだらないにもほどがあるギャグのオンパレード。その密度がすごい。詰め込めるだけ詰め込んだという感じ。そしてくだらないながらも2011年の夏に演じられる意味はブラックかつ不謹慎にしっかりと押さえてある。もう大好き。心底こんなマンガをこそ描きたい、と羨望。楽屋でご挨拶したKERAさんにギャグ密度のすごさに圧倒された旨を伝えると「途中でインフレ化して客も疲れてくるの判ってるんだけど、それでも詰め込まざるを得なかった。詰め込みたいから」と。関西方面の人は大阪公演、観に行くといいよ。
関係ないが、終演後寄ったお店で豊崎社長とお遇いしご挨拶する。豊崎さんも『奥尻』観劇の後だった。
次にPARCO劇場で劇団、本谷有希子『クレイジーハニー』を吉田戦車、山本直樹とともに観劇。3人ともけっこう初期から本谷さんの芝居は見ているのです。今回もじとじとと傷つけ合いつつ依存しあっている嫌な人間関係を突いてくる。長澤まさみのナマ足が眼福。吉本菜穂子、安藤玉恵は物語を相対化客観化させるいつもの役どころで安心感(二人とももっと活躍させてほしかった)。驚いたのはゲイ役のリリー・フランキーさんで、ロフトプラスワン的な店で語る冒頭のシーンでは最初リリーさんとわからなかったほど。だが何か既視感が…と思ったら、そうだ、既成のゲイタレントというよりどこか吉田豪さんっぽかったのだった。あっ吉本さんがUPした我々との写真がここに。
そして下北沢ザ・スズナリで少年王者舘『超コンデンス』。おなじみのパズルのような言葉遊びとともに進行する、これまたしばしば登場するモチーフである異体の自分と時空を彷徨う物語。具体的言及はないが、登場人物は全員もしかして死人? と思わせる雰囲気がいつも以上に色濃く漂っているように感じたが、それは今年ゆえのこちらの勝手な思い込みか。今回も繰り返される夕刻の斜光と蜩のSE。観た時期もあって「ああ今年も夏が終わった」と懐かしくも寂しい気持ちになってしまいましたよ。それにしても中村榮美子さんはかっこいいなあ。
帰りに天野天街さんに、ある打診を受けました。ふむふむ楽しみ。
小松左京、宇宙に逝く
8/17には新宿2丁目「GEISHA」で行われた小松左京追悼トークショー「巨星、宇宙に逝く」(出演:山田正紀・横田順彌・鏡明・高橋良平、司会:大森望)を客として観に行く……はずだったのだが、大森さんの策略でいきなり前半のパネラーとして登壇するハメに。ちなみに『小松左京/宇宙(そら)に逝く』というのは78年にビクターから発売されたオリジナル書き下ろしのドラマを収録したレコードのタイトル。
トークショーはここでUstream中継されたが、まだ視られるのかな? あと、まとめのtogetterはここ。
前半は『さよならジュピター』の裏話と「最高傑作は『エスパイ』」という、SF関係者らしいどこまでマジなのかシャレなのかわからない結論で終了したが、後半、僕が抜けてからの各氏の発言は、なかなか聴くべき所が多かった。高橋良平さん「小松さんが物識りとは思わない。少ない資料からジャンプできる妄想力こそがすごかった」。鏡明さん「長編作家と思われており、また短編こそがいいというファンも多いが、本当に出来がいいのは中編」という指摘は、重要、かつ、してやられた感じ。ただ、この二つとも「小松左京は博識の長編作家」という共通イメージがあってこそのカウンタ意見なので、その前提がそもそも若い読者に共有されてるかどうか。
というわけで、今月発売の「映画秘宝」10月号に、柳下毅一郎さん、青井邦夫さんんとともに追悼文を書いています。SFファンのみならず読書人のコンセンサスだった巨大な教養人としての小松左京のイメージが少しでも伝わっていればいいのだが。
アトムの足音が聞こえる
これらの音を作ったのが、この作品の主人公大野松雄氏である。ドキュメンタリー前半では映画・アニメ界の錚々たる音響スタッフが氏の仕事を語るが本人は登場しない(このへん、やはり電子音楽家のドキュメンタリーとして秀逸だった『テルミン』をちょっと彷彿させる)。大野氏は、僕も映画を観るまでは詳しく把握していなかったが、単なる効果マンの枠を超えた人物で、後半ではそういう氏の、人から見れば偏屈な生きかたや、現在の養護施設での活動を描いていく。映画・アニメ・テレビの音声制作、電子音楽に興味のある人は必見。7月に急逝されたレイ・ハラカミさんも登場。
この日は終映後、労作『電子音楽 in JAPAN』の著者・田中雄二さんと樋口真嗣監督のトークショーがあり、インサイダーならではの裏話が興味深かった。優れたドキュメンタリーは(悪い意味でなく)優れたフィクションなのだなあ、と思ったことです。
藤子・F・不二雄大全集「少年SF短編3」
しかし藤子さんのマンガの解説を書くことになるとはなあ。小学生の俺に聞かせたいよ。
2011年8月1日月曜日
とりったー発売中
COMICリュウで連載していた『とりったー』が7/30付けで発売になりました。
『とりったー』は大雑把に行って2本の柱で構成されています。
ひとつはTwitterでお題を出し体験談を募集、返ってきたリプライを僕がマンガ化する、という投稿企画。もうひとつはTwitter上の(正確には僕のタイムライン上で起きている)さまざまな出来事について僕が出向いていってマンガ化するという個人的なレポート企画。
詳しくは連載開始時のこの日記をお読みください。もちろんTwitterをやっていない人にも面白く読んでもらえるよう企業努力して描いていますので、やや偏ったTwitter入門書にも、もしかしたらなるかもしれません。ならないかもしれません。
目次から内容の一部を紹介しておきます。
●妖怪のっぴょっぴょ
●フーターズ
●都条例
●東日本大震災
●イタイ話
巻末にはロングインタビューを掲載。とり・みきがTwitterについてあれこれ知った風なことを語っています。
関連リンク
COMICリュウ
2011年7月31日日曜日
タツローくん 2011 EDITION
旧版は新書サイズでしたが今回はほぼ正方形。旧版収録以降の回はもちろん、ツアープログラムに掲載されたマンガや、山野楽器のフリーペーパーに短期連載された「まりやちゃん」も収録。ただし購入は、いまのところファンクラブ会員限定の通販のみ。解説は山下達郎さんご本人です。
ごらく亭とハナシをノベル
トリの松尾貴史さんの落語が玄人はだしなのは知っていたが、この夜の「はてなの茶碗」にも唸る。その前の出演者全員の寸劇では時事ネタのアドリブ頻発だったが、落語のほうはうってかわって安易なくすぐりを排除した正統派。そこに米朝一門とも立川流とも縁の深い松尾さんの真摯な落語愛を感じた。もっとも一箇所だけさすがのモノマネ芸が登場するのだが、これは書かないでおこう。
ウチアゲ終了後いつものバーに寄ったら、偶然大林組(映画のほうの)ご一行様がいて監督と熱く抱擁。まもなく新潟県で新作のロケ開始とのこと。
星雲賞
小林修さん
2011年6月24日金曜日
カキューン!! 新動画
2011年6月20日月曜日
とりったー(ひとまず)最終回
COMICリュウ8月号が発売されました。
オフィシャルサイトのインフォメーション通り、COMICリュウはこの号で一旦休刊、年内リニューアルされることになりました。『とりったー』は今回でちょうど単行本一冊分。ひとまずの区切りとして暫定の最終回とします。
このあと『とりったー』を続けるのか、続けるならどういう形がいいのかは只今検討中。これまでweb+雑誌という変則的な連載企画でしたが、レスポンスのタイムラグや時代的な必然を考えるとすべてwebでやってもいいかなとも。投稿いただいた数時間後にはその内容を短いページのマンガにしてweb上にUP、みたいな。
……というのは案のひとつであってまだ決定したわけではありません。別の新作がスタートすれば、しばらくはそちらのほうに軸足を置かねばならない。マンガ家はやはり旧作よりはリアルタイムに描く物のほうに力を入れないといけないので。とはいえ、せっかく動き出した仕掛けというか「場」なので、なんらかの形で続けられればいいなとは思っているのです。
この手の投稿&ルポマンガは不確定要素が多いので、だいたいいつも試行錯誤の連続になります。とくに連載開始後、都条例問題や震災という大きな出来事があって、投稿の紹介の合間に右往左往する様がそのままマンガに描かれています。政治的主張や行動、はたまたプロパガンダなどではなく、ほんとうにただみっともなく翻弄され、ときにはどうしていいかわからず茫然としている。いっぽうでこれまでの自分のスタンスは変えたくなく、こんなときこそ不謹慎でくだらない話題を続けていこうとも思っている。作品としてはバラバラで収まりの悪いものになっているかもしれませんが、それが正直な(僕の)この1年だったといえるでしょう。
Twitterで投稿いただいた方、つぶやきを引用させていただいた方、そしてこの変なマンガの読者の方すべてに感謝致します。どうもありがとうございました。Toritter shall be back!!
なお単行本は当初の予定通り7/30に徳間書店より発売されます。
※リンク先はAmazon
2011年6月19日日曜日
2011年6月14日火曜日
熊本の日々
2011年6月9日木曜日
SF大将特別編 万物理論[完全版]無料公開中
2011年6月1日水曜日
震災と放射線のあれこれ
5月14日にはNakedLOFTで行われた「震災と放射線のあれこれ」というトークライヴへ。出演は野尻美保子さん、松浦晋也さん、大貫剛さん、八谷和彦さん。
野尻さんとはTwitterでは(震災以前から)お話ししているのだが、実際にお目にかかるのは初めて。政府の指定や発表よりもだいぶ早く気象や地形によっては30km圏外でも警戒が必要な地域があることを指摘するいっぽうで、根拠の怪しい放射能デマについては反証したりと、僕の中での(←偉そう)信頼度は高い。でも僕が野尻さんと絡むのはマンガとか音楽とかダジャレとかもっぱら科学以外の話題ですが。この日のプレゼンも『わたしは真吾』やパトレイバーの話が引用されてて面白かった。ときどき入る八谷さんの噛み砕いたフォローがまたとても絶妙でわかりやすい。さすが放射能をうんちでたとえた人だ。
その八谷さんは自作の放射線測定器を持ってきていたが、しまった、撮り忘れた。写真はお客さんの一人が持参した測定器。これはかなり本格的な物。
僕がガイガーカウンターという機械の存在を知ったのは『モスラ対ゴジラ』(1964年)という東宝怪獣映画だった。あのガリガリというSEがやけに印象に残った。それから半世紀近く経ってまさかあちこちで一般の人が測り出す世の中になるとはなあ。
シンプソンズとuncle-jam
この日のお昼は新代田の駅前のライヴスペースで行われたシンプソンズファン感謝祭に行ってきました。シンプソンズ・ファンクラブ有志による完全なボランティアイベントで、会場に着いたら古くからの知り合いのF君が受付をやってて驚いたり再会を喜んだり。
出演者はホーマー役の大平透さんを筆頭に、おなじみのレギュラー陣の皆さんが勢揃い。マーサ役の一城みゆ希さんだけお仕事のつごうでちょっと遅れるも無事途中から参加。
それにしても驚いたのは、ファンクラブの皆さんが制作したというオリジナルのシンプソンズ・ストーリー(一家が日本を訪問するという話)。アニメというよりは電気紙芝居的な作りだが、これが絵もギャグもストーリーも台詞も大変よくできていて感心することしばし。この投影に合わせてレギュラー陣が台詞をナマでアテるという贅沢な趣向。
チャリティコーナーでは及ばずながら声優さんの似顔を描いた色紙を提供。いずれもたいへんありがたいお値段でご購入いただきました。全体として声優陣もファンも、まさに相互に「感謝」しあっているのがよく伝わるすてきなイベントだった。時節柄風当たりの強いご職業のご一家ではあるが、原発ギャグを心から笑える空気に早くなればいいと思います。原発は爆発だ!
夕方からは伊藤銀次さんと黒沢秀樹さんのuncle-jamのLIVEを観に下北沢の風知空知へ。途中でアコギ二本で即興で曲を作っていくコーナーがあって、こういうのをナマで観ると自分のギター熱も再燃。お二人はプロですから素人が「刺激を受けた」なんて書くのは失礼千万というかおこがましい話ですが(そもそも僕は銀次さんのエレキギターの教則本を買ったことがあるのです)それでもいろんなことが参考になりました。あれのほんのちょっとでも真似できればなあ。
終了後、銀次さん黒沢さん、それに会場にいらしてた杉真理さんと歓談。音楽的引用とパクリの線引きについて色々と。たいへん有意義なお話が次から次に出て、こちらは本業のほうに刺激を受ける。なぜならそれはマンガにもそのまま当てはめることの出来る話だから。しかしナイアガラーには歓喜の夜となりました。
時をかけた少女
5月7日はヒューマントラストシネマ有楽町で行われていた《大林宣彦のいつか見た映画館と》というシリーズイベントの『時をかける少女』の回へ。
ビデオによる監督の映画解説があり、久しぶりの劇場のスクリーンでの『時かけ』鑑賞。そして上映後は原田知世さんと大林監督のトークショー。と書くと、よくある出演者イベントのように思えてしまうかもしれないが、両者のフォロワーにとっては、この夜の対談は特別な意味と感慨があった。
監督も話されていたが、ややカルト的な作品となってしまった『時かけ』という初主演映画(そして歌)は、その後の知世ちゃんにとってはずっと重荷だったかもしれないのだ(知世ちゃん本人の言でなく、とり・みきの考えを述べています。要注意)。ファンはいつまでも芳山和子のイメージを原田知世に重ねようとする。それはけっして心地よいことばかりではなかったはずだ。おそらくある時期の原田知世にとっては「脱・時かけ」こそが命題だったろう。
ただ、女優やアイドルが自我を過剰に前面に出し始めると、過去のファンが離れていくケースも多い。これとは反対に役に殉じ銀幕の伝説として私を隠していく俳優もいる。ところが希有なことに、原田知世は過去のイメージやファンの想いを裏切ることはなく、かつ、お仕着せでなくしっかりと自分を主張するミュージシャンとして奇跡的な再生を果たす。
この再生の成功に関しては、本人の意志はもちろんだが鈴木慶一氏の存在が大きかったことはファンならご存じの通り。いま現在日本の芸能界においては彼女のようなスタンスで活動している女優/ミュージシャンは、ほとんど唯一無二の存在といってよいのではないかと思う。
しかし、それでも原田知世がアルバムで、そして人前で「時かけ」を歌うのには、ある程度の年数を要した。2008年3月1日、その封印は解かれる。恵比寿ガーデンホールにおけるWhat' me worry? コンサートで、多彩なゲストとのデュオを経て彼女がアンコールで最後に歌った曲は「時をかける少女」のボサノバ・バージョン。会場で聴いて体が震えたのを覚えている(このバージョンはアルバム「music & me」に収録)。
「時かけ」の歌は復活した。では映画は? アニメ版にも実写版の新作にも彼女の名前はなかった。大林版『時をかける少女』のファンにとっては、どこかでほっとする反面、少々残念な気持ちにもなった、というのが本音だろう。そして「もしかしてもうこのまま両者に接点はないのだろうか」という不安も。多くの支持者やファンがいるにもかかわらず、デビュー作に触れたがらない役者さんは実はけっこう多いことを我々は知っている。
そこへこのイベントの報が飛び込んできた。この夜、彼女は僕らの前で監督と再会を果たし、話をしてくれた。それだけでもうじゅうぶんだった。「『時かけ』は歌も映画も大切な作品でありすぎて簡単には関わることが出来なかった」と彼女はいった。さらには監督のオファーに対して、確約ではないが作品参加の可能性にも言及してくれた。大林版『時かけ』のファンにも、ずっと原田知世のファロワーであり続けた人間にも、なによりその両方だった僕のような者にとっては、とても幸せな夜だった。知世ちゃんありがとう。
写真は知世ちゃんと監督ご夫妻(撮影:大林千茱萸)
さて、この夜はサプライズゲストで相手役の高柳良一さんも登場。監督を驚かせるために知世ちゃんが密かに呼んでいたのだった。今はニッポン放送の重役さんになっている高柳君とはなんだかんだで一年に一回はお会いしているのだが、しかしこのコンビ、例えは悪いが化け物みたいに歳取ってないのだ。永遠に時をかける時の亡者になってしまっているのではないか。口の悪いまとめで本当にすみません。