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2011年6月1日水曜日

時をかけた少女

5月7日はヒューマントラストシネマ有楽町で行われていた《大林宣彦のいつか見た映画館と》というシリーズイベントの『時をかける少女』の回へ。


ビデオによる監督の映画解説があり、久しぶりの劇場のスクリーンでの『時かけ』鑑賞。そして上映後は原田知世さんと大林監督のトークショー。と書くと、よくある出演者イベントのように思えてしまうかもしれないが、両者のフォロワーにとっては、この夜の対談は特別な意味と感慨があった。


監督も話されていたが、ややカルト的な作品となってしまった『時かけ』という初主演映画(そして歌)は、その後の知世ちゃんにとってはずっと重荷だったかもしれないのだ(知世ちゃん本人の言でなく、とり・みきの考えを述べています。要注意)。ファンはいつまでも芳山和子のイメージを原田知世に重ねようとする。それはけっして心地よいことばかりではなかったはずだ。おそらくある時期の原田知世にとっては「脱・時かけ」こそが命題だったろう。


ただ、女優やアイドルが自我を過剰に前面に出し始めると、過去のファンが離れていくケースも多い。これとは反対に役に殉じ銀幕の伝説として私を隠していく俳優もいる。ところが希有なことに、原田知世は過去のイメージやファンの想いを裏切ることはなく、かつ、お仕着せでなくしっかりと自分を主張するミュージシャンとして奇跡的な再生を果たす。


この再生の成功に関しては、本人の意志はもちろんだが鈴木慶一氏の存在が大きかったことはファンならご存じの通り。いま現在日本の芸能界においては彼女のようなスタンスで活動している女優/ミュージシャンは、ほとんど唯一無二の存在といってよいのではないかと思う。


しかし、それでも原田知世がアルバムで、そして人前で「時かけ」を歌うのには、ある程度の年数を要した。2008年3月1日、その封印は解かれる。恵比寿ガーデンホールにおけるWhat' me worry? コンサートで、多彩なゲストとのデュオを経て彼女がアンコールで最後に歌った曲は「時をかける少女」のボサノバ・バージョン。会場で聴いて体が震えたのを覚えている(このバージョンはアルバム「music & me」に収録)。


「時かけ」の歌は復活した。では映画は? アニメ版にも実写版の新作にも彼女の名前はなかった。大林版『時をかける少女』のファンにとっては、どこかでほっとする反面、少々残念な気持ちにもなった、というのが本音だろう。そして「もしかしてもうこのまま両者に接点はないのだろうか」という不安も。多くの支持者やファンがいるにもかかわらず、デビュー作に触れたがらない役者さんは実はけっこう多いことを我々は知っている。


そこへこのイベントの報が飛び込んできた。この夜、彼女は僕らの前で監督と再会を果たし、話をしてくれた。それだけでもうじゅうぶんだった。「『時かけ』は歌も映画も大切な作品でありすぎて簡単には関わることが出来なかった」と彼女はいった。さらには監督のオファーに対して、確約ではないが作品参加の可能性にも言及してくれた。大林版『時かけ』のファンにも、ずっと原田知世のファロワーであり続けた人間にも、なによりその両方だった僕のような者にとっては、とても幸せな夜だった。知世ちゃんありがとう。

写真は知世ちゃんと監督ご夫妻(撮影:大林千茱萸)


さて、この夜はサプライズゲストで相手役の高柳良一さんも登場。監督を驚かせるために知世ちゃんが密かに呼んでいたのだった。今はニッポン放送の重役さんになっている高柳君とはなんだかんだで一年に一回はお会いしているのだが、しかしこのコンビ、例えは悪いが化け物みたいに歳取ってないのだ。永遠に時をかける時の亡者になってしまっているのではないか。口の悪いまとめで本当にすみません。

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