最終日のロケはノートルダムから始まりました。といっても寺院のほうではなく、その地下の古代ローマ遺跡博物館を探訪。ここには古代ローマ時代からセーヌ河畔の船着き場があったのです。
パリでもアングレームでも人の集まるソフト・ターゲットは常に警戒中。ノートルダム前もこのような感じ。ちなみに迷彩服に七つ炎の紋章のグリーンベレーなので、警官ではなく外人部隊と思われます。突撃銃はFA-MAS、拳銃はベレッタ92でしょうか。
最後はヤマザキさんが14歳の欧州一人旅のときに初めて来たルーヴルへ。この歳になりルーヴル主催のマンガ展Louvre No.9の参加作家として再来訪する感慨や如何に。ちなみにこの日は休館日で、マリさんと限定クルーだけの閲覧。贅沢ですね。我々はロケが終わるまで外で待機してましたが。
全てが終了し、帰国便へ搭乗後、機内のディスプレイをいじっていたらいきなり自分の描いた絵が出てきて驚いた。
2017年1月31日火曜日
2017年1月30日月曜日
2017年1月29日日曜日
2017年1月28日土曜日
2017年1月26日木曜日
MARI ON THE AIR
というわけで我々はアングレーム国際漫画祭に参加するためフランスに来ているわけですが、まずはパリで雑誌やWEB媒体の取材をこなしております。
昨日はゴールデン時間帯の、討論ラジオ生番組Ping Pongにマリさんが出演。ネロの時代に絡めてユダヤ人虐殺の歴史なども。マリさんは英語で参加(聞き取りだけならフランス語もだいたいわかるとのこと)。
生放送で、事前の打ち合わせもほとんどなく、かなりシビアな政治的質問も飛び交う硬派な番組(なのでゲストの知識や見識が試される番組)なのだそうですが、終了後、カステルマンの広報担当者は「すばらしかった」といっておりました。さすがですね。
こちらも参照→生放送のラジオ討論番組で冷や汗をかくパリの夜 Mari Yamazaki's Blog
昨日はゴールデン時間帯の、討論ラジオ生番組Ping Pongにマリさんが出演。ネロの時代に絡めてユダヤ人虐殺の歴史なども。マリさんは英語で参加(聞き取りだけならフランス語もだいたいわかるとのこと)。
生放送で、事前の打ち合わせもほとんどなく、かなりシビアな政治的質問も飛び交う硬派な番組(なのでゲストの知識や見識が試される番組)なのだそうですが、終了後、カステルマンの広報担当者は「すばらしかった」といっておりました。さすがですね。
こちらも参照→生放送のラジオ討論番組で冷や汗をかくパリの夜 Mari Yamazaki's Blog
2017年1月25日水曜日
2017年1月24日火曜日
2017年1月21日土曜日
トーキングウィズ松尾堂に出演
明日1/22(日)12:15からのNHK-FMの松尾貴史さんの番組「トーキングウィズ松尾堂」に元小松左京秘書の乙部順子さんとともに出演します。
実は松尾さんも小松さんと縁の深い方、あれやこれや思い出話が盛り上がりました。紹介する本や音楽はサイト参照。生前の小松さんが前身の番組「日曜喫茶室」に出演なさったときの貴重な音源も流れます(とりマリ&エゴサーチャーズの音源も流れるかも)。
実は松尾さんも小松さんと縁の深い方、あれやこれや思い出話が盛り上がりました。紹介する本や音楽はサイト参照。生前の小松さんが前身の番組「日曜喫茶室」に出演なさったときの貴重な音源も流れます(とりマリ&エゴサーチャーズの音源も流れるかも)。
2017年1月19日木曜日
明治150年
年が明けたばかりだというのに「来年は明治150年」というニュースが。小5のときが明治100年で、その年の運動会では学校側で決めた「宮さん宮さん」を、鼓笛隊を先頭に高学年全員がリコーダーで演奏しながら行進する、という屈辱的な体験をさせられた。
政治的な意識はなにも芽生えてなかったが、ただひたすら「こんなかっこわるい曲で行進なんて恥ずかしいよう」という思いだけがあった。屈辱的というのはつまり右左関係なく安直にそういうイベントに乗っかる教育センス、かつ音楽的なセンスの悪さ(のもとで生徒をやらされていること)こそが最大の屈辱だったのだ。
そのあと放送部に入って反動で校庭中に響き渡る大音量で「大脱走マーチ」をかけたなあ。
政治的な意識はなにも芽生えてなかったが、ただひたすら「こんなかっこわるい曲で行進なんて恥ずかしいよう」という思いだけがあった。屈辱的というのはつまり右左関係なく安直にそういうイベントに乗っかる教育センス、かつ音楽的なセンスの悪さ(のもとで生徒をやらされていること)こそが最大の屈辱だったのだ。
そのあと放送部に入って反動で校庭中に響き渡る大音量で「大脱走マーチ」をかけたなあ。
2017年1月14日土曜日
2017年1月11日水曜日
2017年1月10日火曜日
2017年1月8日日曜日
『この世界の片隅に』とメタ表現
https://twitter.com/katabuchi_sunao/status/799325121487912960
このことを去年から考えている。まさに片渕監督のいう通りなのだが、原作のこうのさんの作風は実はマンガ表現や手法を強く意識させるものである。そこにこだわったギャグもあり、そういう部分にシンパシーを感じていたりもする。そしてアニメもまたアニメならではのそういう箇所がある。筆と弾幕のシーンであったり、シネカリグラフィの箇所であったり……。
なのに作品内の現実感はどちらもただ事ではない。鑑賞中にメタ的な意識になって「この世界」からはみ出すこともない。ずっと「体験」が続く。この映画はそこが不思議で面白い。
このことを去年から考えている。まさに片渕監督のいう通りなのだが、原作のこうのさんの作風は実はマンガ表現や手法を強く意識させるものである。そこにこだわったギャグもあり、そういう部分にシンパシーを感じていたりもする。そしてアニメもまたアニメならではのそういう箇所がある。筆と弾幕のシーンであったり、シネカリグラフィの箇所であったり……。
なのに作品内の現実感はどちらもただ事ではない。鑑賞中にメタ的な意識になって「この世界」からはみ出すこともない。ずっと「体験」が続く。この映画はそこが不思議で面白い。
2017年1月3日火曜日
2017年1月1日日曜日
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