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2021年8月20日金曜日

みなもと太郎さん

訃報が続きます。みなもと太郎さんにはまだまだたくさんお話をうかがいたかったのに、マンガも読みたかったのに、残念です。とにかくマンガに関しては博覧強記の方でありました。

その分野が大好きなあまり、多く語りすぎてしまうマンガ家やミュージシャンがしばしば自作がおろそかになる(もしくは自己批評・自己言及の罠に落ちる、あるいは自分の言説にしばられて作れなくなる)という傾向が見られますが、みなもとさんはマンガも面白かった。

両方読んでいる方にはバレているだろうけど「マンガの手法やバックステージをもギャグにしてしまう」というあり方を教えてもらったのはみなもと太郎さんの作品でした。いや、大元は手塚治虫作品で空気のように学んでいたのだけれど、極めて意識的にそれを示してくれたのがみなもとさんの『ホモホモ7』だったのです。受けた影響は計り知れない。

1996年の「COMIC CUE」カバー・バージョン特集では、この『ホモホモ7』にチャレンジしたのですが、しかし元が既に劇画や映画のパロディ作品なので逆にむずかしかった。扉の猿は版権フリーの古いイラスト画集のコピーを一部使用していて手抜きみたいですが、実はこれもみなもとさんが世界名作シリーズなどで多用していたのを踏襲しているのです。

そしてこちらは2007年のみなもと太郎画業40周年記念本への寄稿。『お楽しみはこれもなのじゃ』のスタイルで、好きだった『むこうきずのチョンボ』のことを描(書)きました。いうまでもなく、これもまた元の作品が和田誠さん『お楽しみはこれからだ』のスタイルでマンガの模写をやるという二重三重のパロディになっていて、だから私のは曾孫パロディ。ちなみに角川書店版『お楽しみはこれもなのじゃ』の帯には「マンガ家デビュー直前、この連載は僕のバイブルだった」というコメントを書かせていただきました。

そして直接お目にかかってご開陳いただくマンガ話もすべてが貴重だった。生き字引などとよくいいますが、マンガ界は他に替えのないアーカイヴデータを失ってしまったのです。失礼な言い方ですが。

お写真も上げておこう。2007年の40周年パーティ時のご自身キャラのコスプレと、2018年手塚治虫90周年での島本和彦さんとの2ショット。最後に直接お目にかかったのは2019年の吾妻ひでおさんファン葬のときでした。

  

悲しいです。早すぎる。

※「おたのしみはみなもとじゃ」は『メカ豆腐の復讐』に、『ホモホモ7』のカバーは『ロボ道楽の逆襲』にそれぞれ収録されています。

2021年8月7日土曜日

サトウサンペイさん

サトウサンペイさんは80年代初頭にいしいひさいちさんやいがらしみきおさんら新感覚の4コマが台頭してきた頃に、新聞4コマの旧態依然とした倫理感覚や形骸化したスタイルの代表的作家として一部から批判され始めた、と記憶してます。

でもそれはそれだけ人気があったからでしょう。十代の頃の私は、氏の、ギャグをくどく描かないスマートで突き放したセンスがとても好きでした。家にあった筑摩書房「現代漫画」集がその入口となりました。

「現代漫画」は1970年刊行。各巻の内訳はⅠ期が横山隆一・横山泰三・荻原賢次・加藤芳郎・水木しげる・手塚治虫・小島功・サトウサンペイ・白土三平・園山俊二・東海林さだお・つげ義春・石森章太郎・漫画戦後史Ⅰ・漫画戦後史Ⅱ。

Ⅱ期が杉浦幸雄・清水崑・富永一郎・馬場のぼる・鈴木義司・滝田ゆう・赤塚不二夫・永島慎二・福地泡介・こども漫画傑作集・戦争漫画傑作集・前衛漫画傑作集。選者は鶴見俊輔・佐藤忠男・北杜夫。

うちは揃いじゃなかったけどこの1/3くらいを父親が買っていて、マガジンやサンデーばっかり読んでいた小学生の私もこれで「大人漫画」の世界を知りました。私くらいの世代でそういう人はけっこういたのではないか、と思います。しっくりこない人もいたけどサトウさん以外ではとくに加藤芳郎さんの大ファンになりました。

自分が少年マンガ誌とともに育ってきたのでつい忘れがちなんですけど、70年くらいまでに成人済みの読者にとっては、こうした「大人漫画」のほうがまだまだ当時の漫画のメインストリームという認識だったんですよね(だから手塚さんも漫画集団に入って文芸誌とかにも描きたがった)。

少年誌のフィールドからは68年創刊の「ビッグコミック」が押しだした人達がここには食い込んでます。「青年向けマンガ誌」というのを前面に謳った成果ではあったと思います。当時少年誌の石森章太郎しか知らなかった私は、性的描写もある氏の青年マンガをこの全集で初めて読んで、けっこうショックだった覚えがあります。

サンペイさんの話に戻して、センスだけでなく氏の描線の硬質さも私は好きでした。これは個人の嗜好なので好みは分かれると思いますが、自分の線もカッチリしていて、オットー・ソグローとか好きだったので……。直接お目にかかったのは文春漫画賞をいただいたとき。審査員のお歴々は早々と銀座に流れていかれたのであまりお話は出来ませんでしたが。

ご冥福をお祈り致します。