2011年6月24日金曜日
カキューン!! 新動画
2011年6月20日月曜日
とりったー(ひとまず)最終回
COMICリュウ8月号が発売されました。
オフィシャルサイトのインフォメーション通り、COMICリュウはこの号で一旦休刊、年内リニューアルされることになりました。『とりったー』は今回でちょうど単行本一冊分。ひとまずの区切りとして暫定の最終回とします。
このあと『とりったー』を続けるのか、続けるならどういう形がいいのかは只今検討中。これまでweb+雑誌という変則的な連載企画でしたが、レスポンスのタイムラグや時代的な必然を考えるとすべてwebでやってもいいかなとも。投稿いただいた数時間後にはその内容を短いページのマンガにしてweb上にUP、みたいな。
……というのは案のひとつであってまだ決定したわけではありません。別の新作がスタートすれば、しばらくはそちらのほうに軸足を置かねばならない。マンガ家はやはり旧作よりはリアルタイムに描く物のほうに力を入れないといけないので。とはいえ、せっかく動き出した仕掛けというか「場」なので、なんらかの形で続けられればいいなとは思っているのです。
この手の投稿&ルポマンガは不確定要素が多いので、だいたいいつも試行錯誤の連続になります。とくに連載開始後、都条例問題や震災という大きな出来事があって、投稿の紹介の合間に右往左往する様がそのままマンガに描かれています。政治的主張や行動、はたまたプロパガンダなどではなく、ほんとうにただみっともなく翻弄され、ときにはどうしていいかわからず茫然としている。いっぽうでこれまでの自分のスタンスは変えたくなく、こんなときこそ不謹慎でくだらない話題を続けていこうとも思っている。作品としてはバラバラで収まりの悪いものになっているかもしれませんが、それが正直な(僕の)この1年だったといえるでしょう。
Twitterで投稿いただいた方、つぶやきを引用させていただいた方、そしてこの変なマンガの読者の方すべてに感謝致します。どうもありがとうございました。Toritter shall be back!!
なお単行本は当初の予定通り7/30に徳間書店より発売されます。
※リンク先はAmazon
2011年6月19日日曜日
2011年6月14日火曜日
熊本の日々
2011年6月9日木曜日
SF大将特別編 万物理論[完全版]無料公開中
2011年6月1日水曜日
震災と放射線のあれこれ
5月14日にはNakedLOFTで行われた「震災と放射線のあれこれ」というトークライヴへ。出演は野尻美保子さん、松浦晋也さん、大貫剛さん、八谷和彦さん。
野尻さんとはTwitterでは(震災以前から)お話ししているのだが、実際にお目にかかるのは初めて。政府の指定や発表よりもだいぶ早く気象や地形によっては30km圏外でも警戒が必要な地域があることを指摘するいっぽうで、根拠の怪しい放射能デマについては反証したりと、僕の中での(←偉そう)信頼度は高い。でも僕が野尻さんと絡むのはマンガとか音楽とかダジャレとかもっぱら科学以外の話題ですが。この日のプレゼンも『わたしは真吾』やパトレイバーの話が引用されてて面白かった。ときどき入る八谷さんの噛み砕いたフォローがまたとても絶妙でわかりやすい。さすが放射能をうんちでたとえた人だ。
その八谷さんは自作の放射線測定器を持ってきていたが、しまった、撮り忘れた。写真はお客さんの一人が持参した測定器。これはかなり本格的な物。
僕がガイガーカウンターという機械の存在を知ったのは『モスラ対ゴジラ』(1964年)という東宝怪獣映画だった。あのガリガリというSEがやけに印象に残った。それから半世紀近く経ってまさかあちこちで一般の人が測り出す世の中になるとはなあ。
シンプソンズとuncle-jam
この日のお昼は新代田の駅前のライヴスペースで行われたシンプソンズファン感謝祭に行ってきました。シンプソンズ・ファンクラブ有志による完全なボランティアイベントで、会場に着いたら古くからの知り合いのF君が受付をやってて驚いたり再会を喜んだり。
出演者はホーマー役の大平透さんを筆頭に、おなじみのレギュラー陣の皆さんが勢揃い。マーサ役の一城みゆ希さんだけお仕事のつごうでちょっと遅れるも無事途中から参加。
それにしても驚いたのは、ファンクラブの皆さんが制作したというオリジナルのシンプソンズ・ストーリー(一家が日本を訪問するという話)。アニメというよりは電気紙芝居的な作りだが、これが絵もギャグもストーリーも台詞も大変よくできていて感心することしばし。この投影に合わせてレギュラー陣が台詞をナマでアテるという贅沢な趣向。
チャリティコーナーでは及ばずながら声優さんの似顔を描いた色紙を提供。いずれもたいへんありがたいお値段でご購入いただきました。全体として声優陣もファンも、まさに相互に「感謝」しあっているのがよく伝わるすてきなイベントだった。時節柄風当たりの強いご職業のご一家ではあるが、原発ギャグを心から笑える空気に早くなればいいと思います。原発は爆発だ!
夕方からは伊藤銀次さんと黒沢秀樹さんのuncle-jamのLIVEを観に下北沢の風知空知へ。途中でアコギ二本で即興で曲を作っていくコーナーがあって、こういうのをナマで観ると自分のギター熱も再燃。お二人はプロですから素人が「刺激を受けた」なんて書くのは失礼千万というかおこがましい話ですが(そもそも僕は銀次さんのエレキギターの教則本を買ったことがあるのです)それでもいろんなことが参考になりました。あれのほんのちょっとでも真似できればなあ。
終了後、銀次さん黒沢さん、それに会場にいらしてた杉真理さんと歓談。音楽的引用とパクリの線引きについて色々と。たいへん有意義なお話が次から次に出て、こちらは本業のほうに刺激を受ける。なぜならそれはマンガにもそのまま当てはめることの出来る話だから。しかしナイアガラーには歓喜の夜となりました。
時をかけた少女
5月7日はヒューマントラストシネマ有楽町で行われていた《大林宣彦のいつか見た映画館と》というシリーズイベントの『時をかける少女』の回へ。
ビデオによる監督の映画解説があり、久しぶりの劇場のスクリーンでの『時かけ』鑑賞。そして上映後は原田知世さんと大林監督のトークショー。と書くと、よくある出演者イベントのように思えてしまうかもしれないが、両者のフォロワーにとっては、この夜の対談は特別な意味と感慨があった。
監督も話されていたが、ややカルト的な作品となってしまった『時かけ』という初主演映画(そして歌)は、その後の知世ちゃんにとってはずっと重荷だったかもしれないのだ(知世ちゃん本人の言でなく、とり・みきの考えを述べています。要注意)。ファンはいつまでも芳山和子のイメージを原田知世に重ねようとする。それはけっして心地よいことばかりではなかったはずだ。おそらくある時期の原田知世にとっては「脱・時かけ」こそが命題だったろう。
ただ、女優やアイドルが自我を過剰に前面に出し始めると、過去のファンが離れていくケースも多い。これとは反対に役に殉じ銀幕の伝説として私を隠していく俳優もいる。ところが希有なことに、原田知世は過去のイメージやファンの想いを裏切ることはなく、かつ、お仕着せでなくしっかりと自分を主張するミュージシャンとして奇跡的な再生を果たす。
この再生の成功に関しては、本人の意志はもちろんだが鈴木慶一氏の存在が大きかったことはファンならご存じの通り。いま現在日本の芸能界においては彼女のようなスタンスで活動している女優/ミュージシャンは、ほとんど唯一無二の存在といってよいのではないかと思う。
しかし、それでも原田知世がアルバムで、そして人前で「時かけ」を歌うのには、ある程度の年数を要した。2008年3月1日、その封印は解かれる。恵比寿ガーデンホールにおけるWhat' me worry? コンサートで、多彩なゲストとのデュオを経て彼女がアンコールで最後に歌った曲は「時をかける少女」のボサノバ・バージョン。会場で聴いて体が震えたのを覚えている(このバージョンはアルバム「music & me」に収録)。
「時かけ」の歌は復活した。では映画は? アニメ版にも実写版の新作にも彼女の名前はなかった。大林版『時をかける少女』のファンにとっては、どこかでほっとする反面、少々残念な気持ちにもなった、というのが本音だろう。そして「もしかしてもうこのまま両者に接点はないのだろうか」という不安も。多くの支持者やファンがいるにもかかわらず、デビュー作に触れたがらない役者さんは実はけっこう多いことを我々は知っている。
そこへこのイベントの報が飛び込んできた。この夜、彼女は僕らの前で監督と再会を果たし、話をしてくれた。それだけでもうじゅうぶんだった。「『時かけ』は歌も映画も大切な作品でありすぎて簡単には関わることが出来なかった」と彼女はいった。さらには監督のオファーに対して、確約ではないが作品参加の可能性にも言及してくれた。大林版『時かけ』のファンにも、ずっと原田知世のファロワーであり続けた人間にも、なによりその両方だった僕のような者にとっては、とても幸せな夜だった。知世ちゃんありがとう。
写真は知世ちゃんと監督ご夫妻(撮影:大林千茱萸)
さて、この夜はサプライズゲストで相手役の高柳良一さんも登場。監督を驚かせるために知世ちゃんが密かに呼んでいたのだった。今はニッポン放送の重役さんになっている高柳君とはなんだかんだで一年に一回はお会いしているのだが、しかしこのコンビ、例えは悪いが化け物みたいに歳取ってないのだ。永遠に時をかける時の亡者になってしまっているのではないか。口の悪いまとめで本当にすみません。