since2008. 2017年からはtorimiki.comにUPしたBLOG, NEW RELEASE & BAND情報を時間差で時系列順にアーカイヴしています

2018年6月28日木曜日

GQ版 遠くへいきたい第10回/ワールドカップ

GQJAPANの「遠くへいきたい」第10回がUPされました。今回は連夜睡眠不足を加速させているワールドカップネタです。


以下、マンガとは関係ない雑話。
現在休止中の僕のツイッターとかを以前からご覧になっていた方ならご承知の通り、まあこの時期は仕事どころではなくなる。
サッカーに関しては代表の試合だけでなく、なかなか球技場に足を運べないのでサポーターというにはおこがましいが、ずっと応援しているクラブもある。
早生まれが関係しているのかどうか、とにかく小学生の頃は運動音痴で体育の授業が嫌で嫌で仕方なかった。また熊本というのは野球王国で、男の子の大半は早くからボールとバットの扱いに慣れ親しむのだが、これがまたからきし苦手で友達からもいつもオミソ扱いされていた。
ところが同じ団体球技であってもサッカーだけはなぜか相性がよく、やってみるとけっこうこなせた。試合では全般的に体育の得意な子がやはりFWでこっちはもっぱらDFなのだが、うまくするとボールを奪えることもあり、ふだんオミソの分それが面白くて、真冬でもまだ暗い早朝から校庭の場所取りをして朝の掃除の前に有志でミニゲームをするようになった。そんな時期にメキシコ五輪で日本が3位になる。以来、サッカー熱が続いているというわけだ。
とはいえ、ツイッター始めネットでは出来るだけ具体的な試合評とか書くのは避けてきた。サッカーはつい素人が色々レトリックを駆使して戦術などを語りたくなるスポーツだ。それもまた楽しいのだが、私の文章はふだんからもってまわった面倒臭いところがあるのを自覚しているし、そういう文体でレベルの低い半可通なサッカー評をひけらかすのは世のためにも自分のためにもあまり好ましいこととは思えない。ただでさえこの時期はそういうテキストがネットを覆い尽くすし。
(長い不遇の時代を過ごしてきた)古いサッカーファンは、だいたいにおいて代表戦だけ異様に盛り上がる風潮に対してシニカルで、あえて他国の選手やクラブ戦のことばかり語っていたりする。かくいう自分もまたふだんは斜にかまえた物の見方をしがちなひねくれ者なのだが、せめて大好きなサッカーくらいは馬鹿のようにプリミティブな観戦の仕方をしたい。サッカーは喜怒哀楽に乏しい自分がその感情を発露できる数少ない対象なのだ。
今回の代表は事前のごたごたがあり、協会の対応には色々と物申したいこともあるが、それでも試合は観るし選手は応援するのである。少なくとも試合中はサッカー以外の別の概念や要素(度を超した愛国心とかチームのゴシップとか)を、サッカーの上位に持ち込みたくはない。ただただピッチ上の素晴らしいプレーを楽しみ讃えたい。代表はもちろん、どの国の選手であっても。
かくして今夜も「ああ」とか「おお」とかのオノマトペを呻きつつ試合を観るのである。

2018年6月27日水曜日

名和宏さん

亡くなられた名和宏さんだが、実はとりの母方の親戚にあたる。
と、氏がテレビに映るたびに親から聞かされてきたのだが、ついぞお目にかかったことも交流もなかった。早くから上京されていたし、親類の中でも異色な人だったのだろう、熊本高校から熊大法学部というのは地元では相当な秀才かつエリートコースだが、そこを中退して芸能の道を選んだくらいだから。
もちろんドラマや映画ではよく見ていた。好色な悪役もプロフェッショナルに演じてらして、ませた映画少年としては少々複雑ながらも誇らしかったが、なにせ当時の世の中でかつ田舎のことであるから、親類の間ではもしかしたら厳しい目もあったのかもしれない。東映のエロい殿様やヤクザの親分もよかったけれど、個人的にはテレビ『燃えよ剣』の芹沢鴨役が印象に残っています。

2018年6月25日月曜日

リ・アルティジャーニ第14回

「芸術新潮」7月号発売。

今月号の特集は「天皇と美術」そして鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』への愛憎を江口寿史さんが語ります。

ヤマザキマリ+とり・みきの『リ・アルティジャーニ』は14回目。ナポリへ着いたアントネッロの話です。前回よりナポリ編ですが、フィレンツェ篇と違い全体に明るい色調に。



アントネッロの手紙の口調がなんとなくジェットストリーム調ですけれども……

2018年6月23日土曜日

2018年タツローくんグッズ

本日6/23より山下達郎さんのライブツアー"PERFORMANCE2018"が始まりました。

これに伴い今年もとり・みきのタツローくんキャラを使用したツアーグッズが色々発売されます。各ツアー会場での物販のみならず、こちらのオンラインショップでもお求めになれます→TATSURO YAMASHITA ONLINE SHOP





個人的には金太郎飴本店謹製「金達郎飴」が楽しみ。どこを切っても金達郎、ポキン。

2018年6月20日水曜日

プリニウス第7巻書影


7月9日発売のヤマザキマリ+とり・みき『プリニウス』第7巻の書影が出ました。装幀はいつも通りセキネシンイチ制作室。

カバーは燃えるキルクス・マクシムス(=大戦車競技場。下部のテナントが火元とされています)。帯は満を持しての皇帝ネロになりました。今回、登場の多いセネカ案もありましたが、まあいちばんの出し所ではありましょう。フェリクスさんはまたお預け。

……なんてことを書いていたらこういうニュースが。
記事中の「胸川」が先の文中にある「育った実家のすぐ裏手の川」です。普段はこんな感じなんですが。

地元の皆様、どうぞお気をつけください

2018年6月18日月曜日

プリニウス第50回/さまざまなアレクサンドリア

本日は「新潮45」7月号の発売日です。ヤマザキマリ+とり・みき『プリニウス』は節目の50回。プリ一行は古代の大学術都市アレクサンドリアに入りますが、そこへローマで政争に巻き込まれているセネカからの手紙が......

アレクサンドリアは当時のヘレニズム世界の叡智が集まった大図書館やファロスの大燈台などで有名ですが、文献にはその様子が記されているものの、遺跡そのものは現在では跡形もありません(燈台の一部の石材が後代の要塞に使われてはいますが)。

燈台はまだ14世紀までは存在し、ゆえに中世期の版画にもその威容が描かれていて、おおよそこんな形だったろうという一致した見解がありますが、図書館のほうは調べてもあまりわからない。描くほうの想像力に委ねられ、中世から現代のCGに至るまでその解釈は様々です。

最近では「アサシンクリード・オリジンズ」というゲームで、実に細かいところまで再現されれたアレクサンドリアが登場し、図書館も出てきますが、これはハドリアヌス期に現在のトルコに建てられたエフェソスのケルスス図書館遺跡を参考にした由。したがってほとんど2世紀頃の古代ローマ属州建築的なファサードになっています。図書館に限らず、街全体がどちらかといえば古代ローマ色が強い印象。アレクサンドリアはカエサル侵攻時に大火事になったという説もあり、またすべての属州に同じような施設を作った古代ローマですから、この見解ももちろんありですが、気持ちモダンすぎる感じ。ただ作りこみは本当に素晴らしい。

いっぽう時代がやや下った、4〜5世紀のこの都市の悲劇の女性天文学者ヒュパティアを描いた映画『アレクサンドリア』に登場する図書館は、逆に古代エジプト風の建築様式を取り入れています。図書館の最初の建設はプトレマイオス期で、アレクサンドリアは同王朝の首都だったので、それもまた頷ける。ヒュパティアの時代には、かつてムセイオンに付属していた図書館はアウレリアヌス帝とパルミュラの女王ゼノビアの戦いによって焼け落ち、別場所にあった神殿付属のセラペイオン図書館がメインの収蔵施設として利用されていたようで、それを踏まえてのデザインなのでしょう。

ちなみに『アレクサンドリア』で図書館を破壊するのは当時の原理主義的なキリスト教徒であり、黒を基調とした狂信的な集団の描き方はまるで現在のISSを彷彿とさせます。スペイン製作の映画ですが、その俯瞰的かつ相対的で皮肉の効いた視点には少しく感心させられました。宗教や身分や政争を超え自然科学的な事実こそを是とするヒュパティア像にも共感を覚えますし、図書館や神殿のセットも(CGでだいぶ補完しているとは思いますが)かなり大がかりに作ってあってそれも見所です。

脱線しましたが、プトレマイオス朝はギリシャ(正確にはマケドニア)系のエジプト王朝であり、アレクサンドリアもヘレニズム学術世界の拠点だったことから、ギリシャ風の建物もあって然りでしょう。大製作費を投じて20世紀FOXを傾けさせたエリザベス・テーラーの『クレオパトラ』に登場するアレクサンドリア港には巨大なギリシャ風神殿がそびえていますが、あれはやりすぎにしても。

色んな資料を読むと、どうやら「アレクサンドリア図書館」という一つの大きな建物があったわけではなく、この都市の豊富な文献所蔵施設を総称して、そう呼ばれていたふしもあるらしい。そういうわけで『プリニウス』のアレクサンドリアは、エジプト・ギリシャ・ローマ風の建物が混在している形で描いています。図書館だって温泉旅館みたいに時代時代で建て増しがあったでしょうからね

2018年6月14日木曜日

GQ版 遠くへいきたい第9回

梅雨入りしたとたんに晴れたかと思えば、今週は肌寒いくらいの日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。GQJAPANの『 遠くへいきたい』第9回が更新されました。

雨はうっとうしいですが、外へ出かける誘惑が減るので仕事は思いのほかはかどったりします。雨を題材にした歌には邦楽洋楽問わず名曲が多く、雨の日用に自分で編集したプレイリストを流しつつ、ひたすらペンを走らせる。

近年は都心でも局所的なゲリラ豪雨がよく起きますけど、たまに帰省先の九州で空の底が抜けたような半端ない降りに出逢うと、やはりレベルが違うというか「ああこれが九州の雨だったよなあ」とあらためて思ったり。でもまあ、それだけ水害や土砂災害も多いのですけどね。

育った実家のすぐ裏手にも川が流れており、小学2年のときには1階の天井まで水に浸かる経験もしました。それでも増水時の茶色い濁流を見るのは怖いけれどスペクタクルで、その後も豪雨のたびに水かさの増す河岸まで足を運んだものです。まさにプリニウス症候群……。