「いまだに初対面の人には、職業を聞かれて『マンガ家をやっています』とは、なかなか打ち明けづらい。いったが最後、面倒なことになるのは眼に見えているからだ」
7/28日経夕刊 プロムナード欄の第4回目です。たいていは「雑誌関係の仕事を……」とお茶を濁します。
「いまだに初対面の人には、職業を聞かれて『マンガ家をやっています』とは、なかなか打ち明けづらい。いったが最後、面倒なことになるのは眼に見えているからだ」
7/28日経夕刊 プロムナード欄の第4回目です。たいていは「雑誌関係の仕事を……」とお茶を濁します。
肥薩線は球磨川沿いに走る八代〜人吉間を川線、県境の峠を越えて鹿児島湾に至る人吉〜隼人間を山線と呼ぶそうです。今回の豪雨災害で被害が多かったのはこの川線のほうです。
「呼ぶそうです」というのは、自分が住んでいる間に地元の人間がそう区別して呼んでいるのを聞いた記憶がないからです。使ったこともなかった。
ただ、国鉄〜JR関係者には以前からの通称で、僕が知らなかっただけかもしれません。それを鉄道ファンが全国的に広めたのかも。
かつて青春時代はオトとつるんでいたネロ。ポッパエアを寝取ったことも忘れたのか、今でもオトが裏切るはずはないと信じ込んでいるようです。
プリニウスは『博物誌』で「ネロは足の裏に香料をつける習慣があったが、それはオトから教わったものだそうである」と書いています。
このエピソードからも二人が昔は仲がよかったことがうかがえます。ポッパエア絡みで二人の仲は決裂しましたが、オトの前に決起したご老体ガルバもまた、かつてネロの母アグリッピナの求婚を断った過去があるなど(ネロは気にしていなかったようですが)、叛乱の裏には女性絡みの因縁が渦巻いているようです。
令和2年7月の豪雨により被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私自身、今回もっとも被害の大きかった球磨人吉地方で生まれ育ち、1965年の水害では床上浸水からの救助避難を経験しましたが、今回はそのときを上回る規模の災害になってしまいました。
現地からの中継で流れてくる、長年見知った街の変わりように言葉もありません。
これを書いている現在、まだ天候は不安定であり予断を許さない状況が続いております。避難されている方々、暑い中、また感染症の不安の中、復旧作業に従事されている方々のご無事を心よりお祈り申し上げます。
とり・みき拝
なお、とり宛にもご心配のお言葉をいただいております。ありがとうございます。現在は実家は人吉から住まいを移しております。また、親族も家屋・店舗は大きな被害を受けてしまいましたが無事を確認しております。