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2016年3月28日月曜日

小山田いく氏のこと

僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。

そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。

かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。

それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。

しかしそれは「ライバル視」というのとはちょっと違っていた。

僕はSFやギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギャグ的ではあったが、内容は皆様よくご存じの通り青春……いやさらにその一歩手前の時期の、ちょっと甘酸っぱいエピソードがてんこ盛りに語られる、地方の学校というごく限られたコミュニティの群像劇だった。

そういうわけで、僕は他誌で描いている同年代のギャグマンガ家たち、あるいはマンガ家ではないが同年代のSF作家こそ自分のライバル、と当時は思っていた。

しかし。


であれば無視しておけばいいものを、実際は僕は連載の中で(Wikipediaにすら記述がある)小山田マンガへのちょっかいやおちょくりを繰り返していた。ライバル視はしてなかったといいながら、なぜ。

いまなら当時の自分の気持ちが分析できる。

小山田いくが描いていた甘酸っぱすぎる、ちょっと恥ずかしい中学生の話は、まぎれもなく自分の中にもあった要素だった。彼は小諸、僕は人吉という、山の中の、しかしやや文化度は高い似たような地方都市で育った。

だが彼は地元在住のままマンガを描き、僕は上京した。そして僕はSFやギャグマンガを志向した。その時点で僕は自分からも作品からも彼が描いていたような属性や要素を意識して排除した。本当はさだまさしも聴いていたのに山下達郎やムーンライダーズしか聴いてないようなふりをした。

その僕が排除したがった要素を、小山田いくは葛藤も臆面もなく(と、当時の僕には思えた)描いていた。人は自分と正反対の人間よりも、実は自分とよく似た、しかし自分が隠したい属性を堂々と誇示している人物を、もっとも嫌ったり意識したりする。

こうして僕は小山田いくの(実のところ自分の)甘酸っぱさを、作者本人へのからかい的なギャグでなんとか中和しようとした。照れずにああいう話が描ける同年代をスルーできなかった。

子供っぽい話だ。

今から思えばまだまだ二人ともアマチュア気分が抜けていなかった。若気の至りというしかない。いや「二人とも」というのは正確ではない。ちょっかいはもっぱら僕のほうから最初に仕掛けていた。小山田いくは、なかばしかたなくつきあってくれていたのだと思う。

作品の内容は大甘だが、クラス全員のキャラ付けをしっかり行い、毎回主役を変えて群像劇を維持していくというのは、実は極めて大人の作家の作業といえる。彼の作品の甘ったるさを「大人になった気で」揶揄していた僕のほうが実のところずっと子供だった。

とはいえ、こちらが描いていたのは節操のない何でもアリのギャグマンガだったから、そういう楽屋落ちやメタ的な遊びもギャグにしてしまえるところがあった。しかし彼のマンガは先ほど述べたようにそういう志向のマンガではない。こちらのちょっかいへの下手な呼応は作品を壊しかねない。だいぶ迷惑をかけてしまったと思う。

迷惑といえば、彼と直接会ったのは生涯で一度きりだったが、それも今から思えば迷惑千万な会い方だった。

同じ雑誌の同期なのに一度しか会ってないのか、と驚かれる方もいるかもしれないが、少なくとも当時のチャンピオンでは、新人マンガ家が同じ雑誌に描いている他のマンガ家の連絡先を欲しても編集部はなかなか教えてくれなかった。

いまみたいにSNSが発達している時代では、そういう謎の配慮だか妨害だかは意味がなくなってしまっているけれども、当時はそういう風潮であり、チャンピオンはとくに古いマンガ出版社のノリが残っていたので、他誌のような年末年始の謝恩会もなかった。マンガ家どうしの縦の繋がりも横の繋がりも持つ機会はなかったのだ。

そういう状況の中、かなり無理をしてとった夏休みで僕は友人たちと長野県斑尾のペンションに数日間遊びに行った。その帰りの国道18号で小諸を通過する際、まったくもって突然思い立ち、僕はアポもなければ手土産もない状態で、いきなり小山田邸を訪ねたのだった。

小山田邸の場所はなんと駅前交番に張り紙がしてあった。今でいう聖地巡礼の走りのようなことが起きていて交番で道を尋ねるファンが多かったためだ。現在では考えられないような物騒な個人情報の公開だが、当時はまだそういうおおらかな時代ではあったのだ。

小山田さんは仕事中であり、ノーアポでやってきた同業者(とその友人)に、あきらかに迷惑そうだった。無理からぬことである。手ぶらの客にそれでもお茶とお菓子を出してくださった。僕はツーショットの記念写真を一枚撮って早々に退散した。

次にお会いしたら、30年前の、あの無礼と狼藉を詫びよう。
ずっと、そう思っていた。

まだ思っている。

2016年3月20日日曜日

『山の音』Vコミで配信

今年から旧作の電書化を幾通りかの形で始めます。
まずはVコミ(↓)で『山の音』(短編集でなくて単品)を配信。
 iOS版は こちら
 Android版は こちら
 
 『山の音』は巨人伝説と山に関する民俗伝承に材を取ったファンタジーで1988年に「SFマガジン」に連載されました。自分の田舎でもある九州の山奥の集落を舞台にしています。のちの『石神伝説』に繋がる幾つかの伝奇マンガの最初の作品です。

 少年誌に描いていたギャグマンガ(Gペンで描いていました)とも、その後『愛のさかあがり』などで試した油性フェルトペンのタッチともテイストを変えたかったので、ロットリングの細い線ですべてフリーハンドで一人で描いています。ベタもトーンも使っていません。同趣向の幾つかのSF短編はその前にも描いていたのですが、「SFマガジン」への本格連載ということで、かなり最初は気負っていたのを憶えています。

ありがたいことに、早川版、ちくま文庫版、チクマ秀版社版と何度かリイシューされているのですが、ここしばらく絶版状態が続いていたので、電書板で復活するのは僕としても嬉しい限りです。

2016年3月19日土曜日

プリニウス第27回

『プリニウス』第27回掲載の「新潮45」4月号発売中です。

そういえば『ベン・ハー』もリメイク版が今年公開だそうで……