2020年4月25日土曜日
リ・アルティジャーニ第24回
「芸術新潮」5月号が発売されました。特集は日本の着物。ヤマザキマリ+とり・みき『リ・アルティジャーニ』は第24回。ロイター電で人のいなくなったヴェネツィアの運河をクラゲが泳ぐ動画が配信されておりましたが、こちらは16世紀初頭のヴェネツィア。ベッリーニの工房にレオナルドが訪れます。
工房ではティツィアーノ・ヴェチェッリオとジョルジオーネが修行中。気持ちは手塚治虫先生を見る若きトキワ荘の新人......といったところでしょうか。
ちなみにこちらは連載第2回に登場したヴェロッキオ工房(フィレンツェ)の若きレオナルド。だいぶ歳とった。
工房ではティツィアーノ・ヴェチェッリオとジョルジオーネが修行中。気持ちは手塚治虫先生を見る若きトキワ荘の新人......といったところでしょうか。
ちなみにこちらは連載第2回に登場したヴェロッキオ工房(フィレンツェ)の若きレオナルド。だいぶ歳とった。
2020年4月15日水曜日
4/24発売「TV Bros.総集編特大号」に寄稿
33年の総決算。紙の雑誌で出るのはこれで最後ということで、おなじみの連載陣の記事がズラリで壮観。とり・みきも「遠くへいきたい」描き下ろし新作をしょっぱなに、連載第1回を復刻付録に載せてもらっております。
2020年4月14日火曜日
大林宣彦監督
2020年4月11日土曜日
JFN PARK 植竹公和のアカシックラジオ/とり・みき&ヤマザキマリ 後編
2020年4月10日金曜日
プリニウス第67話「プリシラ」がくらげバンチで公開
『プリニウス 』 第67話「プリシラ」が くらげバンチにて無料公開になりました。
冒頭は回廊に囲まれた広い人工池を有する黄金宮(ドムス・アウレア)。この跡地にのちのちコロッセオが建てられます。
ミツバチが繋ぐネロの孤独と旅するプリニウス。
☞プリニウス第67回「プリシラ」(「新潮」掲載時)
冒頭は回廊に囲まれた広い人工池を有する黄金宮(ドムス・アウレア)。この跡地にのちのちコロッセオが建てられます。
ミツバチが繋ぐネロの孤独と旅するプリニウス。
☞プリニウス第67回「プリシラ」(「新潮」掲載時)
2020年4月7日火曜日
プリニウス第68回「パルミュラ」
「新潮」5月号発売されました。ヤマザキマリ+とり・みき『プリニウス』は第68回「パルミュラ」。プリニウス一行はついにシルクロードの要衝パルミュラに到着、そこは色んな国の人々が行き交い多様な言語が飛び交う国際貿易都市でした。
ISSに破壊されたパルミュラの象徴のような列柱道路と四面門はこの時代まだ建設されていません(といいつつ、5巻目のラルキウスの話の中に登場するパルミュラでは描いちゃってますが、これはまあ全時代を通じてのパルミュラの代表的イメージカットということで太く鷹揚に……)。他にも既刊分には怪しい描写がちょっとありますが、わざわざチェックしなくていいから。
とはいえ、可能な限り正確は期したいところ。なかでも何が既にあって何がまだなかったのか、というのは、あれこれ文献を探ってもはっきりしないものも多い。また、まだ建っていなかったとして、じゃあその前はどんなところだったのか、何があったのか、というのは、考古学的な成果が出ていなければ地形その他から想像するしかありません。今回も描き出す前にかなり調べ事に時間がかかってしまいました。
というわけで一行は紀元前に建てられ、この時代にリニューアル中のベル神殿を訪れます。神殿は出来ていましたが周りの回廊は建設中です。
いま話題のセンザンコウも出てきます。そして頭のないあの怪物について、様々な国からやって来た商人たちが情報交換を始めます。
2020年4月1日水曜日
手洗い
うちは診察用のベッドが1個しかない田舎の開業医だった。家は木造、しかも借家。当然、診察室と家族の住む部屋は同じ屋根の下でごく短い廊下で繋がっていた。
父親はやや過剰に消毒や手洗いをして、外来と居住空間の間を往き来していた。診察室だけでなく、トイレに行く前にも手を洗い、もちろん用を足した後はその何倍も厳重に洗っていた。そして自分含む家族は、そのさまを時には神経質すぎるとからかったりもしていた。
今回のコロナほどではないにしろ、長い年月の間には幾つもの感染症の流行があっただろう。結果的には閉院まで外来から何かの病気が家族にもたらされることはなく、跡を継がず医学や医療を学ばなかった自分はそれをごく近年まで当たり前のことと思っていた。下手すると「ほら、やっぱり神経質すぎたんだよ親父は」くらいに考えていたかもしれない。
今ならそれは彼の細心の注意のおかげだったとわかる。
最前線で感染の危険にさらされながら治療に当たっている全ての医療従事者に感謝する。同時に彼らは超人ではない。市井の一労働者だ。過酷な労働環境に見合う充分な補償がなされんことを。
父親はやや過剰に消毒や手洗いをして、外来と居住空間の間を往き来していた。診察室だけでなく、トイレに行く前にも手を洗い、もちろん用を足した後はその何倍も厳重に洗っていた。そして自分含む家族は、そのさまを時には神経質すぎるとからかったりもしていた。
今回のコロナほどではないにしろ、長い年月の間には幾つもの感染症の流行があっただろう。結果的には閉院まで外来から何かの病気が家族にもたらされることはなく、跡を継がず医学や医療を学ばなかった自分はそれをごく近年まで当たり前のことと思っていた。下手すると「ほら、やっぱり神経質すぎたんだよ親父は」くらいに考えていたかもしれない。
今ならそれは彼の細心の注意のおかげだったとわかる。
最前線で感染の危険にさらされながら治療に当たっている全ての医療従事者に感謝する。同時に彼らは超人ではない。市井の一労働者だ。過酷な労働環境に見合う充分な補償がなされんことを。
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