若木書房版『パットマンX』第5巻(1969年)198p |
『パットマンX』『ほらふきドンドン』『コンピューたん』『どくとるナンダ』『黒ひげ探偵長』といった初期作品が本当にもう大好きだった。小学校中〜高学年当時、ページをめくる度にもっとも声を出して笑ったのががこれら初期のギャグマンガだった。
そして中学に上がる頃『デロリンマン』『銭ゲバ』『アシュラ』『告白』『ザ・ムーン』という問題作が次々に始まる。そして胸をえぐるようなこれら一連の連載が一段落したあと『浮浪雲』が登場するのだ。
ことギャグマンガに限って話をすれば、僕が小学校に上がるまでの愛読マンガ家は杉浦茂、前谷惟光、わちさんぺい、山根赤鬼。小学校に上がる頃にそれらは赤塚不二夫、石森章太郎、藤子不二雄、つのだじろうといったモダンな作風のトキワ荘グループに置き換わる。
そして中学へ上がる60年代後半から70年代にかけて——これはあくまで読み手としての勝手なグルーピングで当事者たちにはそんな意識はなかったと思うが——永井豪、ジョージ秋山、山上たつひこといった若い才能が台頭する。彼らに共通するのはギャグマンガ家でもありながらシリアスなストーリーマンガも描き、しかもそのいずれもが当時のマンガ表現のギリギリを攻める過激な作風だったことだ(やや遅れてみなもと太郎と吾妻ひでおがこの戦線に加わるが彼らの作風はもう少しクールだった)。もちろん僕は夢中になった。
『浮浪雲』ビッグコミックス七巻目「巡の巻」 1977年初版第5刷191p |
なかでもジョージ秋山はその自己像のフェイク性といったところにも惹かれた。『告白』に顕著だが、それはたまに読むインタビューなどにもよく表れていた。同時期の日野日出志『地獄の子守唄』や、つげ義春の自分を主人公にした作品など、どうも自分はそういう自己韜晦の強い作家や作品が好きなのかもしれない(自分がそうであるかどうかはまた別の話)。『浮浪雲』はギャグや問題作を経た悟りの境地のように一見見えるけれども、同時に常に騙されているような疑念もつきまとい、それがまた魅力でもあったのである。
ちなみに『浮浪雲』の中でいちばん好きなエピソードは「定八の結婚」。これの載ったビッグコミックを上熊本駅の待合室で読んで滂沱の涙を流したのを鮮明に憶えています。
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