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2017年6月27日火曜日

吹替インタビューあれこれ

吹替マニアというのは恐ろしく詳しい方がたくさんいて、僕もしばしば記事のデータの間違いを指摘されたりしております(それ自体は大変ありがたいことですので、これからもよろしくご教示お願い致します)。

吹替方面以外にも、映画やテレビシリーズには、それぞれその作品のマニアというかエキスパート的ファンの方がいて、特化してその作品のことを研究されているので、その知識やこだわりたるや、とても僕など足もとにも及ぶところではありません。そういう方々からはソフトのリリース時にこちらが行うインタビューなどに対して「なんで、このシーンのこのセリフのことを訊かないんだ!」と、お叱りをいただいたりします。

そういった方々の個々の作品に対する想い入れはとてもよく理解出来ます。似たようなフェイバリットは、僕もまた幾つかの作品に対して持っていますからね。ただ一言弁明いたしますと、かような指摘が上がる項目というのは、実はたいていの場合、こちらも「これを訊こう」と用意していっているのがほとんどです。

けれども、ぶっちゃけた話、声優さんがそういう「ファンの想い入れのあるディテール」を憶えてらっしゃるケースというのは、まずありません。ディテールはおろか、収録自体も失念されていることが多い。現場では質問しているのですが「ごめん憶えてない」となると、宣材ですから、そういう部分はたいていカットされます。

これはしかし無理からぬことで、僕も含めた視聴者には何度も見返してる想い入れのある作品であっても、ご本人にとっては何千という過去の収録の”One of Them”に過ぎない。それが数十年前のお仕事だったりするとなおさらのことです。逆にプロのお仕事というのはそういうものだろうとも思います。

余談ですが、僕が過去インタビューした中で、もっともご自身の仕事をディテール詳しく憶えてらした方は若山弦蔵さんと広川太一郎さんと山寺宏一さんでした。とくに広川さんは、ポーズとしては「ファンの方には悪いけど僕はぜーんぶ忘れちゃってるから」と最初におっしゃるのですが、話を始めると全然そんなことはなく、インタビューの対象となる作品については事前にかなり「復習」されてきていることも伝わってきました。飄々とされているようで実はとてもスタイリッシュな方でした。

しかし、それらはやはり珍しいケースで、多くの場合「憶えていない」と言われることのほうが多い。文字原稿やVTRは編集で縮められますが、オーディオコメンタリーとか公開トークショーの場合はいつも苦労します。幾つかの経験を経て、声優さんのインタビューでは、とくに収録作品には限らずに、経歴や、吹替のお仕事全般に関して、まずお考えをうかがう、という構成が多くなっています。

逆に気をつけなければならないのは、ご本人の発言だからといって(データ的な意味では)間違っていることもある、ということです。

単なる記憶違いの場合もあるし、エピソードを何度も話すうちに話の「盛り」が多くなって、ネタとして出来上がっていった、というケースもあります。とくに後者は、僕自身インタビューされる側にもときどき回るのでよくわかります。サービス精神があり、話し上手な人ほどそうなりがちです。

野沢那智さんに以前お話をうかがったとき「最初は(それまでアラン・ドロン役の多かった)堀勝之祐さんがドロン、自分がモーリス・ロネ役で『太陽がいっぱい』を収録したが、2回目の収録ではそれが逆転していた」というお話をされていたのですが、今に至るも堀ドロン版の『太陽がいっぱい』は確認されていません(そのことはのちにスペシャルエディション版を出す際に野沢さんにはお伝えしました)。

ネット時代の昨今は、とかくデータやソースが重視され、こういう誤謬というのは何でもかんでも糾弾されがちなのですけど、実はそういう「盛る」部分にこそ、その人の個性が出たり事の本質が現れたりすることもあります。

野沢さんの話もドロン役が堀勝之祐さんから野沢さんに移行していった事実が端的に表現されている。羽佐間道夫さんのお話なども、うかがうたびに事実から飛躍してネタ化が進行し、まるで落語を聞いているような楽しさがあります。それは羽佐間さんの魅力でありお人柄であり、そういう部分をこそ、もしかしたら伝えるほうが大事かな、と僕は思っています。もちろんデータ的なチェックは大事ですが、それは訊く側が注釈の形であとから行えばよい作業です(といいつつ、僕もご本人の弁に惑わされ誤りがそのまま印刷されたり流れてしまった、というようなミスを過去何度か犯したことがあります。あらためて自戒)。

音楽でも特撮でも海外ドラマでも、マニアの方が作ってらっしゃるファンサイトはたくさんあり、僕などはしょっちゅう自身の勉強不足を痛感します。ただごくごく稀に、確かに詳しいんだけれども、作品の素晴らしさよりも他人のミスの糾弾や自分の資料の正確さ自慢に文字数をたくさん費やしてるような人やサイトに出くわすこともあります。攻撃されている先の文章にあたってみると、確かに誤謬を含んでいるのかもしれないが、読むと対象作品の魅力が伝わり、聴いてみたい観てみたいという気になるのはむしろこっちのほうかも……と思わされることもあって、ちょっと考えさせられます。

僕はSFファンの出身で、SF界には翻訳者以上にその作家や海外SF事情に詳しい人や、書き手より遙かに科学考証にうるさい理系畑の人がたくさんいたので、若い頃から上のような指摘やバトルはよく目にしてきたのですけど、まあ色々むずかしいですね。指摘する側も作品愛ゆえにそうしているのでしょうけど、いつのまにか攻撃的になってしまい、関係ない第三者の読者をも不快にさせてしまうことがある。

こういうやりとりはツイッター上でもたびたび目にします。Aの人の言ってることのほうが正しいんだろうけど、その言い方で支持を得られないという……。でも、ま、データは正確なのにこしたことはありません。

あと、これは時折インフォメしていますが、僕とライター諸氏とで95年に出した『吹替映画大事典』は、まだ調査も資料も検索システムも不十分な時代にまとめたもので、現時点から見れば不正確な記述や誤謬を何ヵ所か含みます。「正確なリファレンス」こそをお求めの方には僕自身も、もはやあまりお薦めできません。

時は移り、いまはWikipediaであっても吹替データは充実してきました(おそらく何人かのマニアの方が尽力されているのだと思います)。資料的には古くなってしまった『吹替映画大事典』ですが、しかし、あの当時においては画期的で、意義のある出版だったという自負はあります。エッセイ的な読み物としては今でもじゅうぶん面白いと思うので、そのように読んでいただければ幸いです。

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