8/25日経夕刊 プロムナード欄に第8回「帰納と演繹」が掲載。
このコラムでは2人のスタンスを対立項っぽく書いたけど、この二つの要素は一人の作家の中にも内在していてどちらか一方という人はたぶんいない。割合の問題であり、自分の中でせめぎ合いながら場面場面を決定してる感じですね。
過去の回でも書いてるようにヤマザキさんも描き始める前に綿密な考証をしているし、演繹的・俯瞰的なアプローチも彼女なりの方法でやっている。にもかかわらずキャラを自由に動かせるのが羨ましいという話です。それはやはり古代ローマの知識が付け焼き刃でなく自家薬籠中のものになっているからからだろうと思う。僕の場合はしばしば枝葉末節にこだわりすぎて足枷になってしまうので。
なお、以上はあくまでもとりの考えなのでヤマザキさんにはヤマザキさんの違う捉え方があると思います。二人とも同じ認識とは限らないのでご留意ください。
あとこれは創作に関する話であって、現実の世界で科学的事実や歴史的事実を恣意的に変えてよいという話でないのはいうまでもありません。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。