今回も行く前はそういう危惧があった。それでもブライアンとマイクが同じステージに立つというだけで「もうお布施というかお祭でいいや」という気持ちで過剰期待を持たずに出かけたのだった。
で——。結論からいえば、思っていたより遙かに僕は楽しんだ。それほどマニアではないので、ショーの構成やディレクションをした人物が誰だか僕はよく知らないけれど、かつての不完全ビーチ・ボーイズのステージに漂っていたお水臭さ・営業臭さは注意深く払拭され、ロック・ショーとして洗練されたものになっていた。けっして〝現役のロックバンドのライヴ〟の域ではなかったが(それは最初から期待していない)、お祭を期待してやってきたファンが満足して帰れるレベルのエンタテインメントなステージには仕上がっていたということだ。
と、時間が経っているのでやや醒めた書き方になっているが、テクノロジーやバックのサポートはあるにせよ、結局フロントで体を張っているのはオリジナル・メンバーであり、爺さん達のパフォーマンスは僕の予想の上をいっていた。僕は彼らの真摯な頑張りに素直に感動し、演奏に合わせ、もしかしたらビーチ・ボーイズ関連のライヴで初めて心から楽しんで体を揺すっていた。
僕にとっては彼らは音源で楽しむバンドだったけど、幾つかのアップテンポの曲は爆音の生演奏に体を委ねて、あらためてその良さを再認識した。単に懐メロではない「ここまで生き延びてきた」ロックンロール・ナンバーの力と現役性を思い知った。同時に新アルバムの曲 That's Why God Made The Radio がそれらの名曲に引けを取らない出来であり、観客の拍手も多かったのは感動的だった。
終演後に安田理央さんとも話したのだけど、ビーチ・ボーイズはある意味オタク(ブライアン)とヤンキー(マイク)の融合バンドみたいな所がある。ロボットレストランで提示されたテーマだ。この日のライヴでは明らかに、ブライアンのステージでも、マイク主導のビーチ・ボーイズのステージでも感じることの出来なかった一種独特の雰囲気が醸し出されていた。お互いがお互いに気を遣っているのも、過去のいきさつを知っていれば突っこみたくなるところだが、僕には微笑ましく、かつ双方のちょっと行き過ぎなところをうまく抑える効果になっているように思えた。この不思議な個性の共存こそが、元々のビーチ・ボーイズが持っていた、ゆえに僕が惹かれた重要な要素であり魅力だ。
前座のアメリカは単独のステージで見たかった。こちらも大好きなバンドでいきなり Tin Man で始まったのにはぞくぞくっとさせられた。でもお客さんの反応はあまりよくなかったなあ。
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