私用あって4月の頭に生まれ故郷の人吉に帰省。幼稚園から高校まで一緒だった在京の同級生と一緒だった。
自分は一昨年も来ているが、友人は久方ぶりの帰郷。二人とも実家が別場所に引っ越した関係でめったに訪れる機会がなくなってしまったのだ。というわけで、まず訪ねたのが、二人が通っていたカソリック系の幼稚園。
園内へは入れないので桜越しに教会を撮影。保育施設は一新していたが教会は当時のままだ。ここの庭には古田織部考案という説もある織部灯籠、別名キリシタン灯籠の石竿が残っていて、一時期郷土史マニアの父親がはまって調べていた。ただし現在ではキリシタン遺物説には異論もあるとの由。
人吉城も春。胸川と球磨川が交わるこの写真の撮影場所は、かつての実家の真裏。幼少時には日常的に窓から見ていた風景で、当時はそんなことは思わなかったが、いまあらためて観光客視点で見ると贅沢な眺めだったかもしれない。ただし白塀と櫓は近年の再建で、昔は荒城と呼ぶのがふさわしいたたずまいだった。それはそれでいい風情ではあったが。
胸川も一時よりだいぶ綺麗になり、堰なども出来て、これは今のほうがいい。
そもそも城側だけではなく、対岸である自宅の裏側も石垣造りだった。それぞれの家の石垣の間の狭い石段を下りて河岸に出ていたのである。これも趣はあるが毎年水害が心配だった。実際に床上浸水したこともある。石垣の間にはアオダイショウも住んでいて怖かった。
夕方、温泉に入って、夜は下手すると40年ぶりくらいに会う小中学校の同窓生達と飲む。様子が当時のままの者もいれば、まるで別人化して誰だかわからない者も。街並みと一緒だ。話しているうち、当時以来一切口にしていなかったはずの友人の名前や店名などの固有名詞がスラスラと出てくるのに我ながら呆れる。
二次会は、帰郷の際はいつも寄る大工町のBEARS CAFEへ。マスターの吉村さんは、同じく人吉出身で『WXIII機動警察パトレイバー』総監督の髙山文彦さんの同級生。つい最近、お嬢さんの吉村そらさんがミス・ユニバース日本代表の選考会で九州代表かつ全国3位になった。
日が変わる頃に解散。田舎の夜は真っ暗だ。昔は帰郷してもごく限られた友人にしか会いたくなかった。自分の仕事と田舎でずっと続いてる別の時間との接点がなかなか見いだせず、会話に苦労したからだ。徒労のストレスよりは孤独を選んでいた。地縁や血縁のしがらみも苦手だった。いまだってあまり長居はしたくないのだけど、以前よりはそれらがあまり苦にならなくなった。里帰りというよりは、すっかり来訪客の気分が大きくなってしまったからかもしれない。良し悪しは別に風景の変化もそのことに一役かっている。
また、自分より若い世代の人達は一度は都会に出て、そういうメンタリティを故郷に持ち帰っており、以前よりは適度に不干渉でいてくれるようになった。地元の年寄りはつきあいが悪くなったと嘆いているかもしれないが、そのくらいの距離感が自分には心地よい。いや、もしかしたら自分はもはや部外者になっていて、それゆえの対応かもしれないが、それでもかまわない。部外者の視点で見ればけっこういい町だ、と思った。
帰京したらNHKの『鶴瓶の家族に乾杯』がちょうど人吉の回。散策したばかりのあちこちが出てきて偶然のシンクロに驚く。番組では焼酎蔵をいくつか紹介、見ていたTwitter上の友人やフォロワーが球磨焼酎を飲みたくなったとツイートしていた。お求めの節はWEB通販もやっている鳥越商店でぜひ(親戚なので堂々たる宣伝です)。ちなみにここの広告マンガも描いております。
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