写真はwikipediaより |
アルメニアやパルティアへの長年にわたるローマ軍の遠征は、現地のミトラス教がローマ軍人の間で流行するきっかけにもなり、前回のエピソードとも無縁ではありません。
ネロが赴くコリントスはペロポネソス半島とギリシア本土を繋ぐ結節点にあり、古代より軍事・交易の要衝として栄えました。街を見下ろすアクロポリスにはアフロディーテ神殿があり、そこに仕える多くの巫女兼遊女がいたと伝えられています(巫女≒遊女は日本の古代や中世でもそうですね)。写真はとり撮影。
コリントスでは古代ギリシア四大競技会のひとつイストミア大祭が行われました(開催は2年に一度、古代オリンピックの前後の年)が、共和制ローマ時代に街は一度ローマ軍との攻防で破壊されます。コリントスを再建したのはカエサルでした。
この地峡に運河を通せばペロポネソス半島を大回りせずにすむ、とは昔から誰もが考えたようで、ネロもまたその工事計画に着手しますが途中で挫折してしまいます。最終的に運河が開通したのは1893年のことでした。こちらもとり撮影。高所恐怖症なので怖い怖い。
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