みなもと太郎さんと島本和彦さん |
自分ももういい歳ですが、子供の頃から読んでいた先生方を眼前にすると、とたんにその頃に戻ってミーハーな気分になってしまう。
これはなんだろう。ヤマザキさんも「仕事で世間的には人気のあるタレントさんに会ってもまったくそうはならないのだが、自分が読んできた作家・マンガ家、聴いてきたミュージシャンを前にすると、一気に心ときめいてしまう」といっていましたが、それはたぶん、ご本人の「お名前」だけでなく、その人が作った作品世界もまた脳内に一瞬で拡がってしまうからでありましょう。心ときめくかどうかは、やはり自分の嗜好や感覚で選んで耽溺した、その人の作品あってこそです。
そうした世界を各自持っている人達が一同に会しているのですから、それぞれの読者だったこちらは大変です。
また、これは以前から思っていて当日もヤマザキさんとつくづく話したことですが、ベテランの(少なくともこちらがファンでお目にかかったことがある)マンガ家の人達は皆、謙虚で驕らない。えらそうにしていない。逆に当代の売れっ子である若手のマンガ家も、先達には敬意を持って接している。パワハラによるものでもなく下心もない、作品とそれを作った人への自然発生的な敬意。それは同世代のマンガ家の間でもそうです。
永井豪先生と藤子不二雄A先生の間に写り込むプリニウス作者二人 |
とはいえ、この写真はどうか。それぞれもう、そこそこ名のあるマンガ家なのに、この素人ぶりはひどすぎる。
しかし、この催しで個人的にいちばん感慨深かったのは、秋田書店時代の初代と最後の担当編集者氏と再会したことかもしれません。二人とも手塚番でもあったので来ているとは思っていましたが。
当時の編集部では、手塚番はたいてい独身で、かつ新人担当を兼ねていました。通常1人の編集さんで作家2〜3人を担当するのですが、手塚番は下手すると週のうち5〜6日は手塚プロ泊まり込みになるので、帰宅はおろか、中堅やベテランのちゃんとした作家さんを並行して担当することがままならなかったからかもしれません。
当然、新人のこちらとのうちあわせは減るわけですが、しかし僕は悲惨な目に遇っている彼ら手塚番から漏れうかがう「マンガの神様」の実態に、当時は興味津々でした(それこそ暗黒面です)。神様に及ぶべくもありませんが、僕もまた担当氏には多大なる迷惑をかけ、かつトラブルも色々ありました。
もしかしたら当夜の再会も手塚先生のお導きだったのかもしれません。
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