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2010年9月20日月曜日

柴野さんを偲ぶ会&したコメ

週末は柴野拓美さんを偲ぶ会に行ってきた。


SFファンで柴野さんのことを知らない人はいない。もちろん僕も一方的にはよく存じ上げていた。しかし、僕は小松左京研究会に籍は置いていたものの、あまりファンダム活動に熱心なファンではなかったし、大学在学中にマンガ家になってしまったので、宇宙塵出身の作家の方や同人の方、他のビッグネームファンのような柴野さんとの個人的な接点や交流は、実はほとんどといっていいくらいなかった。SF大会でお会いしてご挨拶をする程度だった。


それがどうしたことか、一度だけ拙著のご感想を送っていただいたことがあったのだ。柴野さんのことであるからマンガの感想ではない。『とり・みきの大雑貨事典』という2冊目のエッセイ集を出したときのことで、もらった僕も面食らうほど唐突なお手紙だった。


自慢話っぽくなるが、というかはっきり自慢だが、お手紙では、ちょっとびっくりするくらいその本のことを褒めてくださっていた。それを伝えたくて筆を取った、というような由だった。


よく読めば評価していただいたのは文章の内容ではなく、主に構成や文体についてであった。仏作って魂入れずという皮肉も含まれていたのかもしれないが、それでも舞い上がったことはいうまでもない。そもそもマンガの片手間に書く文章を褒められたことなどそれまでなかったし、しかも何人もの作家を世に送り出した方のお言葉である。


加えて、柴野さんの性格をよく知る人ならおわかりの通り、故人は(お顔はいつも柔和なのだけど)けっしてリップサービスをするような方ではなかった。むしろ手加減なく率直な方であり、とくに文章には厳しかった。それは僕程度のおつきあいのSFファンにもよく知られていたことだった。だからこそなおのこと喜んだのである。そのようなことは結局後にも先にもそのときだけであったが、このお手紙が、その後どれだけ僕の文章仕事の支えになったことか。


後からよくよく考えれば、柴野さんはSF関係で目にとまった文章があれば、たぶんどなたにもそういう励ましやご指導をなさっていたのかもしれない。今の僕なら当時の自分にそう諭すはずだ。しかし若気ゆえの思い上がりやおっちょこちょいが仕事の継続を促進する場合もある。


偲ぶ会は「SF柴野学校卒業生同窓会」という別名がついていて、先にも述べたように自分はとてもその枠に入る分際ではないのだが、そのような個人的想いがあったのでweb上で募られた一般枠で追悼企画だけ参加させていただいたのだった。写真は柴野さんが折られたというロケットの折り紙。


夕方からはしたまちコメディ映画祭in台東へ。一昨日はプレ企画の映画秘宝祭りでとみさわ昭仁さん達と『KICK-ASS』を観たのだが、これはなにからなにまで映画秘宝読者のためにあるようなひどい(褒め言葉)映画だった。とみさわさんは今年のベスト1に推してましたよ。そのあとの町山智広さんと水道橋博士のトークも面白かった。


で、この夜はモンティ・パイソン。同じくジャパンプレミアの、ロイヤル・アルバート・ホールでの『Life of Brian』を下敷きにしたコメディ・オペラ『Not the Messiah: He's a Very Naughty Boy』を上野東急2で観賞。期待にたがわぬ出来であきれ果てた。幾つになってもどこでやってもこの人たちは不謹慎だ。すばらしい。ここでのトーク企画は松尾貴史さんと宮沢章夫さんと須田泰成さん。TVの自主規制の話はそのままギャグマンガと出版界にもあてはまり、色々と考えるところあり。


『ドンキホーテを殺した男』の金策に奔走中で来日がかなわなかったテリー・ギリアムのビデオメッセージが秀逸→ここ

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