ときどき「理数系ギャグ」という言葉で紹介されることがあるが、これは自分で名乗ったわけではない。メディアで初めて拙作をこの言葉で呼んだのはまついなつきである。
他者との相違点を簡潔に言い切り、一見褒め言葉のように見えて、しかし弱点もしっかり含まれているという意味で、この呼称は容赦なく批評的だ。そこも含めて、というか、であればこそ僕はこの形容を自分でも(主に自虐的な文脈で)たまに使用した。
こういう視点こそがまついなつきの真骨頂だった。最初の単行本が出た頃のまついの『プリニウス』評も的確で、自分の好みとは違う要素もはっきり提示しつつ、それでもこの作品の意図するところと作者二人の執筆時のスタンスや気持ちを正確に見抜いていた。「ヤマザキマリさんも、とり・みきさんもプリニウスだ」
面と向かっては2年に1度会うか会うないかという間柄だったが、80年代からのよき友人だった。彼女は「ねえさん」という名で皆から慕われていた。良きところも困ったところも常に包括的に人間を見ていたし、情熱の人ながらも他者のフィールドには安易に踏み込まない節度があった。めったに会わずとも自分が気づかないことまでなんでも見抜かれてる気がした。
おたくの集まりにありがちなだらだら居残るのが嫌いで、いつも真っ先に帰っていた。だから、つまり今回もそういうことなのだろう。めったにどころかもう会えなくなったけど、今後もなんでも見抜かれているのに違いない。容赦なく、優しく。
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