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2015年3月31日火曜日

岡崎京子展と東宝スタジオ展

3月某日。世田谷文学館で開催中の岡崎京子展へ。

一見接点が無いかのような僕と岡崎さんの作品ですが、80年代半ば、僕は少年誌からはみ出し、彼女も(当時の)少女マンガ誌にはちょっと収まりきれない作品を描いてたせいか、実はけっこう同じ雑誌で一緒に連載したりしていました。行った先のイベントやライヴでお遇いする機会もたびたびありました。

マガジンハウスや白泉社や宝島などが、そうしたあちこちからはみ出した作家の受け皿になっていて、そこではいまでいうオタクっぽいマンガも、おしゃれでトンガッてるマンガも、はたまた濃いガロ系のマンガも、渾然一体となって掲載されていました。

そのカオス感が僕などは面白く心地よかったのですが、ある時期からサブカル側からもオタク側からも境界線を引きたがる、あるいは対立項として扱う人間(たいていマンガ家ではありません)が出てきて、棲み分けが始まってしまった……というのが、当時実際にそういう雑誌に描いていた描き手の立場から感じていた印象でした。そしてそういう線引きは本当につまらないことだ、と僕は思っていました。いまも思っています。

そういえば80年代の10年間、僕は岡崎さんのご実家のある下北沢に住んでいたのですが、雑誌だけでなく、当時の下北沢はおしゃれな若者文化の街でもあるいっぽうで、コミケ関係者の拠点があったり僕や出渕裕やゆうきまさみが出入りしていたSFの事務所があるなど、プレ・オタクの街でもあったのでした。

並べられた雑誌群を見て、まずそういうことを思い出しました。


祖父江慎さんのディレクションによる展示はさすがに見所満載で、岡崎さんのマンガの魅力を十二分に伝えてくれていました。同業者としては、やはりいちばん気になるのが生原稿。たぶん、マンガ家は、そうでない人より何倍もの情報を原画から読み取れると思います。岡崎さんの筆致は一見荒っぽく、トーンのずらし貼りもその印象を助長しているのですが、実際に生原稿を見るとものすごく繊細な計算の上にそれらの線やトーン位置が決定されているのがわかりました。

その後、世田文をあとにして砧の世田谷美術館で行われている東宝スタジオ展へ。

入ってすぐのコーナーで、黒澤明と本多猪四郎が、往時の東宝の二本柱として対等に掲げられているのが展示全体のテーマをよく表していました。かたや天皇とも呼ばれた特別枠の存在、かたやプログラムピクチャーとしての娯楽特撮映画を作り続けた職人……しかし二人ともミフネとゴジラといういまも世界に通用するスタアを創り出します。そうやって違う方向で活躍しつつも、晩年はまた1つの作品を作るのに協力し合った二人の信頼と友情に、あらためて感じ入ったり。


当時のシナリオ、生原稿など貴重な資料の数々に歩く速度もついつい遅くなって見入ってしまいがちでしたが、ただちょっと地味というか、ビジュアル的に見せる仕掛けが少なかったのはものたりなく感じました。スタジオのセットなどを疑似的に組んでみてもよかったのでは。でもそれだと展示の主旨が違ってくるかな(入口にゴジラとミニチュアのビル街はありましたが)。

1 件のコメント:

  1. 「そういう線引きは本当につまらないことだ」
    同感です。
    (ところで、
    「人であることを証明してください」て、すごいですね。。そんなこと言われてもf^^;
    (あ、「人による操作であることを」でしたf^^;))

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