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2018年11月27日火曜日

伝奇マンガの巨匠と

11/25、川崎市民ミュージアムで行われた星野之宣さんと諸星大二郎さんのトークイベント(開催中のビッグコミック50周年展の一環)に行ってきた。

締切中だったが、このお二人の作品なくしては自分も『石神伝説』を描いておらず『プリニウス』へ繋がる道もなかった。そのくらい自分にとっては存在の大きいお二人が人前で会するイベントもそうそうない。しかも訊き手が夏目房之介さんとあっては矢も楯もたまらず1時間半ほど抜けだしてトンボ帰りした次第(でも編集さんからはやっぱり怒られました)。

実は僕は星野さんの『宗方教授伝奇考』潮漫画文庫第一集に解説を書かせてもらったことがある。そこではお二人の作風の比較のようなことをやってしまっていて畏れ多いにもほどがあるのだが、今回久方ぶりに読み返したら、そう外したことは書いていない気がしたので、もし機会があれば読んでみてください。

さて、そういう創作の秘密的な話が、お二人のお口から語られるか……とは最初から全然思っていなかった。諸星さんとは何度かお目にかかっていたし、また過去のインタビューやコメントなどを読む限り、少なくとも諸星さんがその手の話をなさることはないだろう、という予測はついていた(それが諸星さんのナチュラルボーンな資質なのか、そう見せかけてわざとはぐらかしているのかはいまもってわからないのだけれど)。

右より星野之宣さん 諸星大二郎さん
夏目房之介さん 僕 飯田耕一郎さん
そう予測済みではあったが、にしてもお二人とも想像以上に寡黙! 諸星さんはともかく、星野さんもまた具体的な創作の話はあまりなさらない。もしかしたら諸星さんに合わせて、つまり、自分だけ喋りすぎることを気になさって、あるいは一種のライバル意識からそうなさっているのかな……と俗物のマンガ家は邪推したりしていたが、とにかく、饒舌すぎるとりマリとはそこがいちばん違う。そして、自作を語らないのはやはり格好いいなあ、と。

数少ないご発言の中から当日いちばん心に残ったのは諸星大二郎さんの次のお言葉 

「作品なんて無責任に描いてるんだから、あとから人に『責任とれ』とかいわれても困る」

そういうお二人を相手にイベントを成立させた夏目さんのMC手腕にも感心。夏目さんがいちばん嬉しそうでした。

2018年11月22日木曜日

『プリニウス』の連載再開が決定


『プリニウス』はこれまで「新潮45」で連載を続けていましたが、同誌の休刊を受け「新潮」にて連載を再開することとなりました。また今後は「新潮」掲載後、一定の期間をおいて、WEBマンガサイト「くらげバンチ」でも各話をUPしていく予定です。

【作者のコメント】

――ヤマザキマリ

漫画家になるずっと以前、イタリアで画学生をしながら母親に時々送ってもらっていた文芸誌のひとつがこの「新潮」でした。絵と文章が、まだ自分の中では表現として繋がっていなかった頃のことです。若かった私はイタリアの文学者達に日本文学についての無知を指摘され、安部公房や三島由紀夫を始めとする様々な作家の書籍を日本から送ってもらっては、貪るように読みました。その時に受けた強烈な知的触発が、文章から画像を生み出していくという現在の私の漫画技法の礎となっています。 「新潮45」の休刊は唐突な顛末ではありましたが、これはこれで有り難いご縁だったと受け止め、プリニウスの連載当初に抱いていた思いどおり、文芸という領域でも捉えていただけるような漫画作品を描いていくことができれば本望です。


――とり・みき
まずは再開かなって嬉しい。いち早くお申し出をいただいた編集部と、休載の間ご心配とご支援のお言葉をいただいた読者の皆様に感謝致します。自分は文芸誌であれ情報誌であれマンガ誌であれ、極端にいえばずっと「場所を選ばず」仕事をしてきました。なので今回も気負わず淡々粛々とこれまで通り続きを描くのみですが、とはいえ「新潮」初のマンガ連載だそうで、何であっても通念を塗り替えて顰蹙を買うのは横紙破り冥利に尽きます(そんな冥利があるのか)。


【「新潮」編集長・矢野優のコメント】
文芸誌は文明誌でもありたい――『プリニウス』連載で114年越しの願いが実現して幸福です。

2018年11月21日水曜日

手塚治虫生誕90周年

恒例の年末進行に諸々イレギュラーな仕事が重なり、おそらく今年いちばん身動きがとれない綱渡り状態の中、11月20日帝国ホテルで行われた手塚治虫生誕90周年記念会に行ってまいりました。手塚先生がまさにそういう人だったので許してください>お待たせ中の関係各位。

みなもと太郎さんと島本和彦さん
山下達郎さんの『アトムの子』を歌うアトムロボット、みなもと太郎さん、島本和彦さん、ヤマザキマリさん、士貴智志さん、中村光さん登壇によるマンガ家トーク、そして手塚眞監督の『ばるぼら』(主演:稲垣吾郎さん、二階堂ふみさん)発表と盛りだくさんな内容でしたが、なんといっても会場に集ったベテランから同世代、後進まで、多くのマンガ家さんとお話しできたのがいちばん楽しかった。

自分ももういい歳ですが、子供の頃から読んでいた先生方を眼前にすると、とたんにその頃に戻ってミーハーな気分になってしまう。


これはなんだろう。ヤマザキさんも「仕事で世間的には人気のあるタレントさんに会ってもまったくそうはならないのだが、自分が読んできた作家・マンガ家、聴いてきたミュージシャンを前にすると、一気に心ときめいてしまう」といっていましたが、それはたぶん、ご本人の「お名前」だけでなく、その人が作った作品世界もまた脳内に一瞬で拡がってしまうからでありましょう。心ときめくかどうかは、やはり自分の嗜好や感覚で選んで耽溺した、その人の作品あってこそです。


そうした世界を各自持っている人達が一同に会しているのですから、それぞれの読者だったこちらは大変です。


また、これは以前から思っていて当日もヤマザキさんとつくづく話したことですが、ベテランの(少なくともこちらがファンでお目にかかったことがある)マンガ家の人達は皆、謙虚で驕らない。えらそうにしていない。逆に当代の売れっ子である若手のマンガ家も、先達には敬意を持って接している。パワハラによるものでもなく下心もない、作品とそれを作った人への自然発生的な敬意。それは同世代のマンガ家の間でもそうです。


永井豪先生と藤子不二雄A先生の間に写り込むプリニウス作者二人
もちろん、こちらも年期が入っていますからマンガ界の暗黒面も数多く見てきてますが、こういうところはマンガ家ってピュアで健全だな、とあらためて思ったことでした。

とはいえ、この写真はどうか。それぞれもう、そこそこ名のあるマンガ家なのに、この素人ぶりはひどすぎる。

しかし、この催しで個人的にいちばん感慨深かったのは、秋田書店時代の初代と最後の担当編集者氏と再会したことかもしれません。二人とも手塚番でもあったので来ているとは思っていましたが。

当時の編集部では、手塚番はたいてい独身で、かつ新人担当を兼ねていました。通常1人の編集さんで作家2〜3人を担当するのですが、手塚番は下手すると週のうち5〜6日は手塚プロ泊まり込みになるので、帰宅はおろか、中堅やベテランのちゃんとした作家さんを並行して担当することがままならなかったからかもしれません。

当然、新人のこちらとのうちあわせは減るわけですが、しかし僕は悲惨な目に遇っている彼ら手塚番から漏れうかがう「マンガの神様」の実態に、当時は興味津々でした(それこそ暗黒面です)。神様に及ぶべくもありませんが、僕もまた担当氏には多大なる迷惑をかけ、かつトラブルも色々ありました。

もしかしたら当夜の再会も手塚先生のお導きだったのかもしれません。

2018年11月9日金曜日

2018年11月7日水曜日

フランシス・レイ

フランシス・レイが亡くなりました。


60年代後半から70年代にかけては、ラジオのキー局でも地方局でも必ずおもにリクエスト葉書(&多少の意図的操作?)による洋楽のベストテン番組がありました。70年代後期から80年代のベストテンは海外と情報やタイムラグがなくなっていき、ほぼUSAチャートやUKチャートと変わらないラインナップになっていくのですけど、70年代前半、つまり僕が中学や高校の頃の洋楽ベストテンというのは、日本で「洋楽」として発売されたEP盤すべてを対象としていて、基本はアメリカのヒット曲なのですが、その中にはヨーロッパ(とくに伊・仏そしてオランダ)の曲や、日本だけでシングルカットされた曲や、ときには日本で「洋楽」の体で作られた曲や、イージーリスニングや、そしてしばしば映画のサウンドトラック盤(もしくはそのカバー競作)がごった煮のような状態で、その順位を競っていました。

キングレコードのSEVEN SEASのように、主にサントラEP盤に特化したレーベルもあり、アルバム=LPのサウンドトラック盤はお小遣いが足りなくてなかなか買えない中坊にとっては大変ありがたかったのです。

その時代、もっともチャートに頻繁に顔を出す映画音楽家がヘンリー・マンシーニとバート・バカラックとフランシス・レイとミシェル・ルグランでありました。なかでもフランシス・レイは、映画はさほどヒットしなくても、彼のEPサントラ盤は必ずチャートインするほど人気で、とくに『ある愛の詩』のメロディが世を席巻してからは、逆に「好きな音楽家は?」と訊かれると洋楽ファンとしてはフランシス・レイとはなかなか答えがたい雰囲気すらありました(甘すぎ&メジャーすぎて)。

とはいえ、僕は中学時代に放送部をやっていたので、彼らの曲は校内放送のBGMとしてユースフルで大変お世話になりました。このことはこのエントリーでもちょっと触れています(→GQ版『遠くへいきたい』第2回

その思い出もあいまって個人的ベストはやはり『白い恋人たち』。あと流れ者』と『さらば夏の日』。どうしても70年前後の曲が多くなる。彼が脚光を浴びた『男と女』(66年)を観ることができたのは、上京して名画座というものに出逢ってからでした。

2018年11月2日金曜日

フリースタイル40


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特集は「ポップとは何か」江口寿史×大根仁。田村信さんの「海で溺れた死にかけた」が抱腹絶倒、生還したので笑えるわけですが。山田宏一の「映画教室」第18回は「吹替えの映画史についての一考察」。

そして、とり・みき「Anywhere But Here(遠くへいきたい)」はGQ版とダブらず新規2本掲載。