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2020年6月25日木曜日

リ・アルティジャーニ第25回

「芸術新潮」7月号発売中。特集は鳥獣戯画。ヤマザキマリ+とり・みき『リ・アルティジャーニ』は第25回。

ヴェネツィアから時を戻してレオナルド修業時代のフィレンツェへ。公証人をしていた父親に呼び出されたレオナルドは若きアントネッロを紹介され「あの絵」と出逢います。舞台は父の事務所があったバディア・フィオレンティーナ教会。



アルティジャーニはフィレンツェ、ナポリ、ヴェネツィアで色彩設計のトーンを少しずつ変えています。フィレンツェは上空からだと屋根瓦のせいで朱色っぽい街に思えるのですが、街を実際に歩いた地上目線では全体的に緑(灰緑)っぽい印象。レンガや漆喰がそういう色なのです。写真は2015年取材時。

2020年6月18日木曜日

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黙々と点描:∴∵:∴∵:∴:∵作業中


『プリニウス』はアナログとデジタルのハイブリッド。ミニチュア+CGという今の日本特撮の感覚に近いかも。

歩け走るな!


ツイッターの風野春樹さんのツイートで1966年の『歩け走るな!』(Walk, Don't Run)
がAmazonPrimeに入っていることを知ったのでやっと見た(ずっと見たかったが、昔出たDVDが今ではなかなか手に入らないのだ)。

64年のオリンピック時にケーリー・グラントが東京にやってくる、という映画なので『オリンピア・キュクロス』を描いているヤマザキマリさんにも教えてあげる。監督はMGMミュージカルの名匠チャールズ・ウォルタース。

話は他愛もないラブコメで、オリンピック選手が一般人のアパートに競技前日まで練習もせずに居候するなどユルユルなのだが、グラント以下の俳優が実際に来日しての東京都心でのけっこう大がかりな路上ロケにまず驚いた(この頃の日本物は実景だけ別班が撮ってきて、あとはスタジオセットとスクリーンプロセスで……というパターンも多かったですからね)。

当時の八重洲口、代々木、新宿、新橋、かちどき橋周辺で、主要な俳優込みでエキストラも動員して面倒そうな撮影をしており、映画冒頭で警視庁への謝辞も出る。この翌年には『007は二度死ぬ』の日本ロケもあり、その辺の許可関係はまだ鷹揚だったのか。その後80〜90年代には、日本は都市部での撮影がもっともやりにくい国としてハリウッドには(いや邦画関係者にも)悪評高くなっていく。

60年代の東京の実景を眺めるのもこの作品の醍醐味だが、もうひとつ驚いたのは、アメリカでのセット撮影部分もこの当時の映画としてはビックリするくらい(僕はそういう誤解描写が好きなので、がっかりするくらい)変なところが少ない。いや皆無ではない、お約束のようにトルコ風呂っぽい銭湯が出てきたりはするものの、しかし、おおおむね当時の東京の家屋や店舗の作りに違和感はなく小道具にも気が配られていて(台所にはライオンと花王の洗剤が仲よく並んでいる)、日本のスタッフがずいぶんかかわっているのかな、と思わせる。ドラマ上での日本人の描き方も対等だ。

そしてとり的に興味を引いたのが日本の裕福な家の子供たちがお茶の間のテレビで「日本語吹替の洋画劇場」を見ているシーンがあること。画面ではジェームズ・スチュアートが日本語を喋っている。作品は『ララミーから来た男』だろう。声はたぶん日系俳優で浦野光さんではない。こういう描写は面白い。

トレッキーにはジョージ・タケイが警察署長役で出ているのも見所。『二度死ぬ』にも出ている島田テルも登場。あと音楽がクインシー・ジョーンズなのだ。で、調べるとハモニカを吹いているのがトゥーツ・シールマンスだったりする。

ただ大スターだった「ケーリー・グラントの引退作品」にふさわしいかな、と考えると、その点だけはちょっと寂しい。

※ケーリー・グラントはイギリス生まれの(この映画にもイギリスの商社マンとして出てくる)1930〜60年代のハリウッドの二枚目スター。コメディアン出身なのは現在のトム・ハンクスとちょっと似ている。


2020年6月7日日曜日

タツローくんフィギュアセット発売

アコースティック・ライヴ・ツアー "山下達郎 Special Acoustic Live 2020" の再開に向け、オフィシャルグッズを先行発売。とり・みきによるキャラデザインのタツローくんフィギュアセットなどが新規追加されました。ぜひご利用ください。

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2020年6月5日金曜日

プリニウス第69回「アケロン」

「新潮」7月号、本来発売日は7日ですが土日の前倒しがあって6/5に発売。
ヤマザキマリ+とり・みき『プリニウス』は第69回「アケロン」。意図したわけではないのですがアメリカや日本で起きていることとマンガがシンクロしてきているような......。
アケロンとは物語のはじめの頃からネロの居場所(宮廷・寝室・移動先)にしばしば描かれてきたオウム......もといインコの名前です。冠羽があるのがオウム、ないのがインコらしいですが今回をお読みいただければオウムかインコかはまあどっちでもよくなるかと。

2020年6月1日月曜日

ジョージ秋山さん

若木書房版『パットマンX』第5巻(1969年)198p

ジョージ秋山さんが亡くなられた。

『パットマンX』『ほらふきドンドン』『コンピューたん』『どくとるナンダ』『黒ひげ探偵長』といった初期作品が本当にもう大好きだった。小学校中〜高学年当時、ページをめくる度にもっとも声を出して笑ったのががこれら初期のギャグマンガだった。

そして中学に上がる頃『デロリンマン』『銭ゲバ』『アシュラ』『告白』『ザ・ムーン』という問題作が次々に始まる。そして胸をえぐるようなこれら一連の連載が一段落したあと『浮浪雲』が登場するのだ。

ことギャグマンガに限って話をすれば、僕が小学校に上がるまでの愛読マンガ家は杉浦茂、前谷惟光、わちさんぺい、山根赤鬼。小学校に上がる頃にそれらは赤塚不二夫、石森章太郎、藤子不二雄、つのだじろうといったモダンな作風のトキワ荘グループに置き換わる。

そして中学へ上がる60年代後半から70年代にかけて——これはあくまで読み手としての勝手なグルーピングで当事者たちにはそんな意識はなかったと思うが——永井豪、ジョージ秋山、山上たつひこといった若い才能が台頭する。彼らに共通するのはギャグマンガ家でもありながらシリアスなストーリーマンガも描き、しかもそのいずれもが当時のマンガ表現のギリギリを攻める過激な作風だったことだ(やや遅れてみなもと太郎と吾妻ひでおがこの戦線に加わるが彼らの作風はもう少しクールだった)。もちろん僕は夢中になった。

『浮浪雲』ビッグコミックス七巻目「巡の巻」
1977年初版第5刷191p

なかでもジョージ秋山はその自己像のフェイク性といったところにも惹かれた。『告白』に顕著だが、それはたまに読むインタビューなどにもよく表れていた。同時期の日野日出志『地獄の子守唄』や、つげ義春の自分を主人公にした作品など、どうも自分はそういう自己韜晦の強い作家や作品が好きなのかもしれない(自分がそうであるかどうかはまた別の話)。『浮浪雲』はギャグや問題作を経た悟りの境地のように一見見えるけれども、同時に常に騙されているような疑念もつきまとい、それがまた魅力でもあったのである。

ちなみに『浮浪雲』の中でいちばん好きなエピソードは「定八の結婚」。これの載ったビッグコミックを上熊本駅の待合室で読んで滂沱の涙を流したのを鮮明に憶えています。