2017年8月15日火曜日

終戦の日

「自分と考えが違うものや、自分が一見腹が立つようなものに対して寛容な気持ちを持つこと。この習慣が極めて重要ですね(中略)それを養うのが僕は歴史だと思うんです」

磯田さんとは、1年に1回くらい、某歴史好きの人達の集まりでお目にかかりますが、会った瞬間から時候の挨拶も飛ばして本題に入るような熱い方です。

それはともかく、引用したのは大切な提言ですね。世の中は二項対立では出来ていなくて、ベン図の交わりにいる人のほうが多いと思うのだけど、ツイッターとかだと、それがむりやり二項対立の図式に押し込められがちになる。

そればかりか、自分もまたいつのまにか寛容さを失って「おれはどっち側か」「どっちが正しいか」なんて考え始めてしまう。たいがいはどっち側も、何割かは正しくて何割かは間違ってるのが常なのに(自然科学や数学はまた違って、唯一の正しい解があったりしますが)。

そういうわけで、どうも自分は、共感したツイートはもちろんですが、自分では絶対こうは思わないだろうな、というような、目からウロコが落ちるようなツイートを見ると、これまた思わずfavoってしまう傾向があるようです。

いまはハートマークでイイネという呼称になってしまったけど、以前はそうではなかった(単なる☆マークだった)ので、「こういう立場や考え方もあるのだな」という、自分の考えに客観性を持たすための、いわば付箋がわり、チェックマークがわり。自分にとってのツイッターは息抜きや気晴らしであるとともに、ギャグやネタを考えるための情報収集装置でもあるので、いろんな立場の人の考えが見渡せたほうがいいのです。

しかし、気がつくと自分とは反対の意見ばかりハートマークがついていることもあり、それはそれで周りに誤解を与えそうだ。いまはほっとくとリツイートだけではなくイイネも勝手に表示されるようになっているので、単に優柔不断かつ付和雷同なヤツに見えているかもしれません。

さて、世界的には降伏文書調印の9/2を戦争終結の日としている国が多いようです。ただ、賛否はともかく、玉音放送日の8/15を終戦の日にしたのは、日本人の「気分」的には絶妙の制定であったと思います。

旧盆で元々死者を身近に感じる慰霊の日であること。加えて帰省でファミリーが集まっている場では戦争を生きた親や祖父母の話も聞けたでしょう。

さらに子供の頃は、夏休みがこの日を境にあと半月で終わるという、サザエさんや日曜洋画劇場のテーマのような秒読みの哀愁を、毎年この日のお昼のサイレンやNHKニュースで感じていました。「終わり」の「気分」にひたるには最適のタイミングです。

そうそう、テレビの戦争関連の特集番組も、休み中なのでじっくり視聴出来た。近頃見ていて嘆かわしい気持ちになることの多かったNHKスペシャルも、ここ数日の終戦関連番組は、取材も構成も気合いが入っていて素晴らしい。Nスペの底力を見せてもらっています。

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